「殺すな」

 2月に友達とスロヴァキアのブラティスラヴァへ日帰り、チェコプラハに小旅行、そして3月はイースター休暇を使って西仏のナントへ行った。どれも格別に楽しかったけど、ナントは渋さ知らズ紹介で知り合った人が、大切な友達になったと言えるほど、思い出深いものになった。

旅の合間に日本から送られてきた約1000枚100kgのCD受け取りに関する騒動、キッチン壁の水漏れ事件などなど、はたまた“人疲れ”も重なってうんざりして、途方に暮れて、なんかもう何もかもイヤーン!と、人生に疲れてしまいそうなことも重なっていた。が、ナントの癒しが効いたみたい。ナントから帰ってからもしばらく鬱々とした気分だったけど、それでもちょっとずつ小さい嬉しいこと、有り難いことで持ち直し、自分のゲンキンさにも呆れたりしつつリカバー。うむむ、いろーんなことを含めて、なんか最近やっと、世間でよく聞く「ありのままを受け入れる」の極意がわかってきたようなそんな、気がしたりなんかして。意外とね、そうじゃなかったのかも。私とは。でも意外とね、やっとそうなのかも、私でも。


ちょっとしたこと、ちょっとしたことなんやけどなぁ。


ストレートに言うと、チビがどんな高学年になって、どんなティーンになって、果たして大人に成りきれんのかと、漠然と不安で仕方なかった。
刻一刻とそれが近づいてくるようで、こわかった。今思うと尽く失礼なことだが、“この子はマブダチが作れんのか”とか、そんなことも心配したり…。
ひょっこりここだけ読む人が居たら変な妄想に聞こえるでしょうけど、障害児の親なんてそういうもんですたぶん。


まぁ何やかや、大したこともないけどちょこちょこと色々あって、そんな小さい「あっ…」の積み重ねがあって、「あー、そんな心配って、失礼やったなぁ。」と思うに至る。



…心配の種を拾いだしたらきりはない。
でもそこら中に散らばる種すべてが、芽を出して育ってしまう訳ではないのだ。
さらに、それらの種の中には、意外と結果オーライの花を咲かせるのがあったりすら、するらしい。




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そんな中。


無理心中的猟奇殺人ではないか。


祖国よ、嗚呼、祖国よ。立ち籠めるその雲の黒さはいったい。どないした祖国よ。


もの凄いですね…。びっくりしました。


2月は足立区でしたっけ、そして昨日は文京区ですか。お父さんが家族を殺すのですか。家族を憎んで、とかでもないんですよね? どうしたんですか、もう…。
心中と言うスーサイドは日本語にしか無いスタイルで、翻訳不能だと言いますね。確かに見当たりません。
恋人とのそれは江戸時代に流行期すらあったらしいが、後生儚んで親が子を道連れというのはいつからか。高度成長期あたり?
世間とズレて、隔絶感と閉塞感、事業に行き詰まりましたか、お先真っ暗でしたか。
しかし、昔話で知る限りは、寝ている子の首をしめるとか、なるべく恐怖や痛みを抑えて(そのつもりで)一思いに…というのが親のナサケだったんじゃないでしょうか。それが、なんですか、刃物振り回してるんですかお父さん。
たまたまとはいえ、老人、妻、コドモを殺めたものの、いちばん上の子は取り逃がしていると言う。何をか言わんや。
通り魔が弱者を狙うと散々言われているが、家庭内マーダーもその通りではないか。


実は、自分が生まれる前であったが、わたしは自殺者を身内に持つ。自殺者は幼い親族を道連れにしたという。悪いけど、それ、殺人である。
また、別の親族は未遂者でもあり、未遂により助かった元道連れ者の複雑な心境も伝え知る。
かといって、過剰に感情移入や同情する気など毛の頭ほどもないけれど、少なくとも対岸や異国の話と言えるほどの安全な距離感は感じ得ない。

溺死した人がいる湯船に今も浸かっている気分、というと、趣味が悪すぎるか。

けど、このお風呂は「内風呂」じゃなかったんだ。

でーっかいでーっかい露天風呂で、湯気で見えないほどの距離で、あっちでもこっちでもみんな、トチ狂ってんじゃないのか。
何やってんだみんな。

あるところでは親が子どもの頭を押さえつけて溺れさせてる。
あっちでは若い奴が見ず知らずの誰かの足をお湯の中で引っぱって沈めてる。
誰かがお湯の中でリストカットしたから、お湯が恐ろしい赤色に染まる。
自分すら、私だって、無意識か(いや直視せずに)何度も何度も泳げない我が子の手を振りほどきそうになっているではないか。
趣味の悪い夢みたいな現実の中で、寂しくぷかぷか浮いているのが、現実の我々なのだ。



実はこの2月の事件を知ったのは、悪名高い2ちゃんねるだったんだけど(恥)、たくさんの人が「いったいどうなってんだ」「ほんとに世の中おかしくなってしまった」と嘆いて書き捨てていた。
一方ミクシィにあふれるコスメとか痩身のバナー広告や、相変わらずテレビ関連の話題が上位を占める日記のテーマランキングなどに比べたら、そっちの方がまだ人間味があると思った。



ま、スポーツ刈りと丸刈りくらいの差しか、ないのかもしれないけど。





  

久々の今週

長らくの放置プレイ、申し訳ございませんでした。
ご心配おかけしましたkinsei師匠ほか暖かき朋友の皆さま、メールありがとう。
生温かきガハク、コメントの放置ごめりんこ。
思うところございましたが、書くほどのこともないので黙っておきます。今後の更新も、どうでしょうね。よくわかりませんね。


絶賛療養中からすっかり体調も回復。一時的に食肉しないで過ごしていたら、すっかり炭水化物の摂り過ぎでぽったりと太ってしまいました。菜食でどうして太ったのかと自問自答という名の妄想を繰り返し、要は米と麺でした。あと、豆と麦。太らなそうでしょ? でも調理法と分量が狂ったら、ちゃんと太るんです。実証しました。


久しぶりすぎて、はてなダイアリーの編集方法がうまく思い出せない私です。
長くなりますが久々なので、まぁおつきあいを。
ちょっとした顛末もございますので、途中でやめたりしないでね。途中でやめんなら、悪いけど最初から読まんとって。

そう言う訳で、しばらく炭水化物を激減することにしつつ、久々のエントリーはFaschingdienstag ネタというのも皮肉な話。
だってこれっていわゆる謝肉祭である。うわ、二行に肉が二回も出てきたよ!


Faschingsdienstag。
IQ40程度(適当)に説明すると、“暗く寒い冬ももうすぐ終わるよ”“もうすぐ春よねまだやけど”と、欧州とくにカソリック諸国では、今週は月曜から連日節日が祝われるという。
細かい解説は好みでないので他に譲るとして、独語で「ファッシング(懺悔)の火曜」というこの日は、毎年各地で仮装してお祭りというのが定石らしい。あれです、イタリアはヴェネチアとかブラジルのリオの仮面のカーニヴァル、あれはコレなんですって。
謝肉祭っつーのは、かつてイースター(復活祭)の前の40日間を断食もしくは肉食禁止してたので、その前に肉のまとめ食いして宴会しよう、というコンセプトだったらしい。ちなみにそのイスラム版がラマダーンである。で、この肉断ち(カソリック)もラマダン(イスラム式日中の断食)も、そんなに信心深くない若者などでも未だ、結構実践していたりする。季節の変わり目に軽い断食をするのは健康に良いから、と言うのを、私はオーストリア人からもトルコ人からも聞いたことがある。


で、まぁ諸国がどうであろうと、歴史がどうであろうと、宗教がどうであろうと、毎年この日は街中に狂った子どもが溢れるのであります。
各小学校では、基本的に宗教と分離していてもこの日は子どもたちに仮装を奨励するのです。カソリックに限った事ではなく、公立小学校も私立もどこも、おそらく100%と言える小学生が、この日は朝から本気の仮装で登校。
我らがおチビが通う、多国籍統合学級でも。外国籍各宗教の児童たちももれなく朝から気合いの入った仮装であります。
当クラスでは毎年テーマが指定されるようで、去年は「おどろおどろしいもの」。
ちょっとハロウィンみたいであったがおばけやドラキュラがわんさか登校してきてた。
今年のテーマは「映画や物語の有名人」。


先立つ事一週間前、このテーマをプリントで知らされた我ら母子は、夕飯のあと会議した。

結果、「『ラタトゥーユ』のリングィーネになりたい!」。
日本語タイトル、『レミーのおいしいレストラン』の主人公である。いや、主人公はネズミか。人間の方。見習いコック君のこと。

チビは二年生であるが、これまで具体的なアイデアを出す、ということがほとんど無理であった。即興的な反応として選択肢を時には驚くべく飛躍した発想で申し述べることはあっても、「どうしたい? 何がいい?」的な質問にはたいてい「なんでもいいよ」としか言えなかった我が子。

そんな彼女が生まれて初めて、具体的なご希望を指定してきた。まぁ若干の誘導はあったものの、大した進歩。11月のお誕生会に大好きな友達たちと観に行った思い出の映画であるから、当然と言えば当然であるが、本人的にもこの発想を気に入った模様。


さて、件の映画をご覧でない諸氏はピンとこないかもしれないが、当該映画の勘所は以下の通りである。
天才的な料理の才能を持つネズミのレミーが、パリで料理の才能の無い新米コック見習いリングィーネと出会い、彼のコック帽に隠れて秘密の料理指南をする。一見普通の見習いコックのリングィーネであるが、その天才的な調理の秘密はコック帽の中に隠れたネズミであると言うこと。


我が家には、先日のチビの誕生日にと、祖国の祖父母より当該映画メインキャラのフィギュアが贈られていた。
我が家唯一のキャラクターグッズである。その中のリングィーネをじっくり観察すると、必要なのはコックスーツとコック帽。それから前掛けである(ズボンはジーンズか何か)。コックスーツはボタンが8つ、本来ならダブルの上着なんだろうけど、どうしようか。前掛けは簡単、レミーのフィギュアをどうにか頭の上に固定できたら面白いかな。問題はコック帽…。


こうして数日に渡り、頭の中で妄想的試行錯誤を繰り広げた。



数日前、はぎれのワゴンセールで二種類の白い布を購入。
そのうちのひとつはキルトや冬着の中綿用のもの。これで帽子をと思いつつ、その形成に相当悩んでいたのだけれど、結局前日に呑みに来ていたミナちゃんが呑み喰いの片手間に思いついた方法で“ワンタッチ帽子”的作品ができることを発見。加えて最近購入したグリューガンが大活躍して、どうにか一式を製作することができた。

前夜の試着と当日の朝。
チビはさすがに大喜びである。

断っておくが、手芸の才能はゼロどころかマイナスであるわたくし。
すべて「工作」である。細かい回顧ははしょるとしても、その製作過程は甚だ夏休みの工作よろしく、適当に切る、貼る、ちょっと縫ってみる…の繰り返し。しかも、白糸を買い忘れたゆえ、あちこちに焦げ茶色の縫い目が見え隠れ…。着心地なんて良いはず無いし、もうちょっと子どもが大きければきっと「あら自分で作ったの?」と本人が言われるであろう有様。適当に作ってるから着せてみたらかなり窮屈で、試着のシリからビリビリ破れる始末。しかしツクロイとか手芸的補正がまったく無理な作者なので、グリューガン(ピストル型で、熱で溶かした接着剤が何でもひっつけてしまう)が大活躍。“子どもが作ったぬいぐるみのお洋服”みたいなノリで衣装が出来上がった。
(これなら、“手作りが苦手でヨソんちの子の手作りアイテムにコンプレックスを抱くママたち”も傷つけないだろう、というのが結構自分の中でいちばんポイントだったりする。そう言う人には、「ひぇっ、あんなので良いんだ!?」くらい思って頂きたい。テクよりアイデア。そんな程度の私。)



フィギュアのレミーの固定も散々悩んだけど、結局小さいヘアクリップにこれまたグリューガンで固定して、それを頭頂部のお団子にちょんと付けた。帽子を取ったらレミーがジャ〜ン!である。

たった1日のことである。変に凝ったところで帽子をなくすことすら考えられるので、帽子のてっぺんは閉じないことに。これで作業は半減。
お陰で帽子を取らなくってもレミーが見える。

上から覗いて見ると…。

この角度のレミー、かわいいなぁ。



登校のバスの中は、小さい魔女や意味不明の小人モンスターでいっぱいである。
みんなメイクもめちゃくちゃやっているから、さしずめ早朝から狂った子どもで街があふれているようである。みんな一種の興奮状態だから、ろくに上着も着てない子達が仮装用のマントなどをなびかせて、通学路を練り歩く。大人たちはもちろん了解してるから、素知らぬ顔してる。それがまた、シュールで笑える。

登校すると、いきなりシマウマとアメリカン・インディアン(ネイティブ・アメリカン)に出迎えられる。チビはすでに大張りきりである。



この日はクラスでスパイダーマン3人、長靴下のピッピも3人、出典不明のお姫様4、5人、ネイティブ・アメリカン3人海賊数人、変わりどころではモーツアルトの姉妹とかチャップリンがいた。リングィーネはもちろんひとりであった。
去年は古シーツを使ったお化けやお母さんの古着を使った魔女などが多かったけれど、今年はキャラものということで既成の変装セットの子が多かった。毎年街中、国中で子どもらが仮装するのだから多様な衣装が売られていて結構なことであるが、これ、来年も使う訳でもないし…と、人ごとながら出費と保管の煩わしさを思ってしまった。まぁ、スパイダーマンの子なんかは結構、普段着やパジャマにもしてたりしたけどね。




あくまでこれは罰ゲームではない。担任の先生たち。自発的な仮装である。このおふたりと非常勤の先生を加えて、3人お揃いでの仮装、謎の囚人…。もしかして先生方は、これがやりたかったからことしのテーマを…。…。





しかし、この日は実は、最悪であった。
ここからが問題であったのだ。



登校して数時間後、携帯に担任より電話。学校で、チビがお漏らしをしたと言う。
こういうことはあんまりネット上に書きたくなかったから触れなかったけど、これまでわずかに、しかし今もなお、数ヶ月に一度こういう失敗をする。あいにく着替えを持たせていなかったので、先生は困って電話してきたのだ。出先だったので対応できず、結局ホルト(学童)の担任と相談して下さることに。先生は文句を言う訳でもないし、誰に責められる訳でもなかったけど、シモのことだし相当に落ち込む。
こんなに準備にがんばった日だったのに…と、もうめちゃくちゃ落ち込む。
休日や家族と居る時間にそんなことにはならない。何が問題なのか。何か精神的に問題でもあるのか。私が何か、間違ってるのか。先生たちに何かあるのか。もう散々な気持ちで夕方定時に迎えに行くが、本人は当然ろくに説明もできないし、怒る気にもなれないのでほとんど口もきかず、晩飯をすませ就寝させる。泣ける。とにかく。
せっかく数日かけて用意したのに。
会心の出来映えやったのに。
あんなに喜んでたくせに…。



翌日もろくに気持ちが晴れない。

夜になって、このやるせなさをひとりで抱えてるのがほとほと嫌になり、ジャパンツアー中の旦那氏にメールする。

ほどなくして返信が到着する。
その返信を読んで、ハッとする。

「そうか。カノンは興奮してたんやろうね」 よっぽど嬉しかったんやろう、と。

ガーン。そうか! 犬で言うところの“うれしょん”である!




もの凄く単純であるが、そう言うことだったんだと思う。

楽しくって、嬉しくって、はしゃぎ過ぎて、気をつけられんかったんか。あほやなぁ。
丸一日憂鬱だったわたしであるが、夜になってベッドで静かに訊いてみた。きのうはろくに答えられなかったチビだけど、今夜は静かに言う。
すごく楽しかったんだと。行こうと思ったら、間に合わなかったんだと。



後日、独語クラスで仲良くなったイタリア人の友達に、この話をした。最近仲良くなった彼女は、日だまりの定食屋でランチを食べ終え、昼酒をあおりながら身振りを織りまぜこう言った。

「時どき人は、ものごとを望遠鏡みたいなもので覗いて見てしまうのよね。その狭い視野の中ではネガティブにしか見えないことも、切り取られたスコープの周りでは、ごく普通にハッピーだったりするのよね」。




うちは夫妻で大変、キャラクターに違いがある。世間様では「性格の不一致」が離婚理由に挙げられるが、まぁそれは建前か知らんが、“性格の不一致”が離散の理由に成るとするならば、うちなど婚姻自体がナンセンスである。何から何まで違いすぎる。

それよりも、性格が違い、見るとこが違うからこそ、こうして救われることもあるもんなのですなぁ。12年で初、とは言いませんが…(苦笑)。



たった1日の晴れの衣装は、幸いおしっこで汚れることもなかったので、現在おチビのお部屋に飾ってあります。
やっぱり相当、嬉しかったってことにして。

絶賛療養中

 ご無沙汰です。術後の経過は良好です。疲れやすさと各所某所の痛みもありましたが、それも随分治まって参りました。
ちょっとくらい飲んでも、ちょっとくらい夜更かしして寝不足でも翌日まぁなんとか大丈夫。というくらいの回復。

このひと月半のうちに術後初の定期検診があり、概ね良好でコドモとオットーの誕生日がありしっかり宴会をし、友達のライブやちょっとしたフェスに行き、古い友達に久々に会い新しい友達もできちゃったりしちゃったり。

***

病気して入院してみて思ったこと。
心配して病院に付き添ってくれたりお見舞い以上に協力して頂いた方々へ、感謝とカタジケナイのココロは今も変わらないものの、こっそり打ち明けると病気してトクした?ってくらい、多幸感もありました。
手術前、心細いのを隠しつつ「術後は暇だと思うから見舞いに来てね!」なんて携帯メールを一斉に送ったら、一週間で10人を超える人が見舞いに来てくれてしまった。
手術当日、内橋さんに半日付き合ってひたすら一緒に待っててくれた人や、花やヨーグルトを持って毎日来てくれた人、一日に二度三度足を運んでくれた人もいるし、退院時には荷物運びに駆けつけてくれた友達もいた。うちに帰ると日本から手紙やメールがあって、病気の痛い思いも怖い思いもどうでもよくなるくらい、自分は幸せなんだと思った。

退院してすぐ、クレムスで大好きな音楽家のピエール・バスティアンに再会して、たっぷり話した。久々にドキドキしながらライブを観て、死ななくて良かった〜とほんとに思った。良いことが何かあると、美味しいもの何か食べると、病気が治って生きてることにほんとに幸運を感じたし、ヤなことがあっても「でも、生きてんだから良いじゃん」といつも思う。

***

それは、病気をして手術前に死を身近に感じて、また病気や事故で死んでいった友人のことを何度も何度も思い続けたからだ。
もういなくなってしまった人を思い、自分もいなくなってしまうことをリアリティを持って考えたから。

***

誰かが、病気か事故を経験したあと、「残りの人生は神さまからのボーナスかおまけみたいなもの。生きてるだけでラッキー」という意味のことを書いていた。わたくしは今、結構贅沢なオマケを長々と満喫しはじめている。

***

しかも今年は年女で、しかも60年に一度とかの、亥の者どもに最高の年だと言う。「そんな年に手術なんて」と言われそうだが、この経験はカナリ得難く、ある意味大当たりだし、人に迷惑や心配や負担をかけたことを棚に上げさせてもらえるならば、極上の経験なのだ。ビッグギフト。

***

10年。
ケッコーンして10年経った記念すべき一昨年は、ウィーンに引っ越してまだまだいろいろ大変だったのであまり感慨は無かった。記念といっても、まだ実感がわくには早すぎた様で、やっと11年経った今になって“ほぼ10年”を俯瞰できるようになってきた。
近ごろ面白く感じるのは「あれはもう、10年も前なんだよね」と言えることが増えて、そのことがことさら大人感を実感させてくれてちょっと嬉しい。わたしはほとんど、幼なじみとか十代の頃の友達と交流していないので、20代の頃は“10年前の話”と言うのができなかった。内橋さんは12も歳上だから当初から「10年前の話」が満載だったんだけど、それが実はずっとうらやましかった。しかし晴れて今、「10年前の話」がたっぷり増えて嬉しいのだ。このようなことで、わたしは歳をとると言うことを愛して止まない。

さて10年。10年付き合ったら、そろそろ若輩ながら長い付き合い、と言っても良いのだよね。
夫のようにずーっと会ってる人から、しょっちゅう会ってる人、比較的しょっちゅう会ってる人、年に数回、年に一度は会ってる人、数年に一度だけど、会うとかわらぬ関係である人、久しぶりな人、超久しぶりな人、久しぶりの理由だって、そりゃもぉピンからキリまで多様で多様で。

でもね、ほぼ常にハジメマシテもあって、会って別れて、子どもももうけて、病気や事故で友達を、時には幼い友達を失い、自分もmemento mori な思いをして、そしてこうしてオマケをむさぼる幸運を得てみると、付き合い方の多様さなんて、ホボ、どーでもいいんだよなぁと思い至ったよ。

だってさ、生きてるだけでまる儲けなんですから。
達観。
生きてるだけでアリガトウ。生きてるだけで浜村淳。あんたもあたしも浜村淳
生き恥さらして生き延びて、また笑って会っちゃったんだから、それでえーやんかぁ。
たとえそれが、大した意味なくっても、それでもいいのよ。ねぇ、たぶん。ガハハハのハだよ、人生は。

休暇届

いや、萬年放置がちなので休暇も休止もないのですが。
このたびわたくし、生還いたしました。性感じゃないよ生還だよ。退院したんですよ。
どっかからと言うと病院から。入院してたんですね。何で入院してたかっつーと手術したんですね。
何で手術したかと言うともちろん病気だった訳で、良性腫瘍をテキシュツしました。

で、まぁわたしのことですので、ネタも山盛り仕込んで帰って参りましたが、なかなかの大物ですけ、ちょっくらお時間頂きたい。
身も心も格別に駆使いたしましたので、しばらくはレッツ療養で贅沢な時間を過ごさせて頂きたい。
ということで、しばらく休憩いたします。

ここ最近、邪悪なSNSってヤツのせいで、みんなろくにMailを書かない堕落生活を送っている様ですが(自分も含めて)、
まぁちょっと声をかけてみたいような方はぜひ、上の“kaekae”から、プロフィールへリンクたどって頂きまして、
Mail Me ってのをポチットナーしてもらったら、ひょっこり直メもでけるようになってまっさかい。

じゃぁまた、おしゃべりはじめるその日まで。

あったかくして、お過ごしください。


華英

ロケット発射!

またもや長らくご無沙汰してしまっている。申し訳ない。と言う訳で、写真をたっぷり提出してお詫びにかえさせて頂きましょう。
ロケット発射。
というのは、夏休み最後の土曜日に行ってきた、ハンガリーに近いクライレホフという小ちゃい街で行われたREHEATフェスティバルのイチ出し物。
(ちょっと古い話でスミマセン!)

リヒートはクラウス・フィリップやディータたち、ウィーンのミュージシャン10名近くが仕掛ける、インスタレーションとライブの小さなフェス。
原っぱ広がる田舎の廃工場で繰り広げられるので、お客さんの多くはキャンプ方々遊びに来る。ほんとなら私たちも、友達とキャンプしようかと言ってたんだけど、テントと寝袋と車を出すと言ってた友達に予定が入ってしまい、急きょ香音とふたりで行ってきた。

二年前もここでフェスがあって、その時もビリーやディータ、シルヴィアと遊びに来たけど、今回はみんな前乗り、数日前から準備に行ってるので、我々は電車の旅。とはいえウィーン発田舎行きの電車の中はテントやキャンプ用品でリュックが一杯になってる人多く、そしてすぐに顔見知りや知人も見つけられ、片道はあっという間におしゃべりして到着。
駅まではフェス調達のミニバスと迎えに来てくれたビリーの実家カーがお出迎えで、二年ぶりの会場へスムーズに移動。
二年前はそう言えば、ドイツ語がまだまだ使い物にならない挨拶程度、したがってごく親しい数人としか話さなかったし友人たちはみんな忙しそうだったし、かなり静かにぼーっとしてたなぁ…と回顧。
今回はまぁ、挨拶+軽い世間話はできるようになってきたので、前回とは暇っぽさが激減した。有り難いことだ。
それは私だけでもなく、香音!
前回彼女は観客の前で堂々と「ぶとう」を踊りだして大人たちをぽかーんとさせてしまったのだが、そのほかは小ちゃい子が遊んでるプールにちょっと混ぜてもらう程度で、私同様結構暇にしていたと思う。しかし今年。わたしが荷物置き場に何か取りに行ってる間に、トイレに行ってる間に、飲み物買いに行ってる間に、ほんとのちょっとの隙でいなくなるいなくなる。
ハンガリーまで続くかのような草むらにまぎれ込みでもしたら、捜索に人の手を煩わすことになりかねないし、怪我でもしたらフェスにどんな迷惑をかけるかもしれないから、毎回冷や汗もので探しまわったんだけど、香音はお得意の(疑)ドイツ語で子連れさんチームにまんまと接近し、靴を脱いでピクニックシートやテントにまぎれ込んだり、果てにはバーベキューしてる家族の一員になっていたり、ほんとうにエンジョイご厄介になっていた。

しかしながら、そんな不思議なメガネのアジアンガールに親切なのはもともと心優しい人しかあり得ないのか、そんな人やグループを選んで接近しているのか、香音が仲良くなる人たちはみんな、まぁヒッピーっぽさもあるものの、どなたもとっても感じが良い。分けてくれてるおやつやスナックもとっても美味しそうだった。


で、フェスティバル自体は、建物のあちこちで断続的にプログラムが有りつつ、据え置きインスタレーションもたくさんあり、なかなか退屈しない。夕方には地元のガストハウスからケイタリングサービスが来て、屋台が立つ。料金はしっかり取られるものの、パエリアやカレー、ベジタリアンフードも充実してしかもボリュームもあるのでなかなかの人気、そして満足度。がしかし、その人気故か売り切れ続出。ビリーに真剣に、来年はうどん屋か味噌汁屋をやってくれと御指名を受けた。どうしよう。天然自笑軒かディスコビーンズに相談しようか…。

そんな中、かなりのクライマックスとして盛り上がったのが本日の表題、“ロケット発射”である。

メイン会場たる建物の反対側、がらんとした空き地にそれは佇む。


主にふたりのアーティストが仕掛けているらしく、前日のテストでは準備に参加してたスタッフ一同で随分盛り上がったらしい。
そのためディータのアナウンスも熱が入る。果たしてロケット打ち上げとニュウミュージックフェスの関連性/必然性については、明言されているの か も しれないが、到底わたしが把握できる範疇を越えている。とはいえもはや、理屈は二の次三の次、今は良い。黄昏時の打ち上げ時、人々の注目は頂点に達した。メイン会場から長々とホースで水を引き、おそらく内部に充分な圧をかけるのを固唾をのんで見守る観衆。

ようやくアーティスト2人から合図が出る。
カウントダウン。マイクを使ったディータ、アーティスト側、そして子どもたちのカウントダウンは三者バラバラ(笑)。
間が抜けて笑いながらも発射!

 ぶっっぢゅ〜〜〜!!!!!!!

 どっかーーーーーーんんん!!!!!



歓喜する観衆。5秒あまりの出来事なれど、ぶぢゅーっという音とともに一旦浮かび上がったロケットは、人々の心をひとつにしてくれたのでありました。


ちゃっかり、人様がご用意された特等席にて観賞できた香音。おとなりは、この日一番仲良しになったザビーネちゃんとその父ちゃん。

その後、無事、発射と落下を果たしたロケットは、リサイクル可能なパーツを残してキャンプファイヤーの燃料となりました。


どんどんプログラムは続きつつ夜は更けて、メインプログラムはすべて終了し、あとは未明までDJタイム!というところで、主催者側がウィーン市内へ帰る参加者の車の乗り合わせを手配。泊まれるスペースはあったし香音用の寝袋は借りてきていたし、香音もその気満々、友達たちも皆残る…っていう状況だったけど、今日は十分楽しんだから帰ることにして、3区を通れるお客さんの車に同乗させて頂く。車の持ち主さんはカップルで、我々のことを「おうちの前まで送ってあげてくださいね」とアレンジ係がちゃんと話をつけてくれる。ドライバーさんは人の良さそうな人でもちろん快諾。さらにおっちゃんもう一人、請け負っていた。
車に乗り、簡単に挨拶して世間話をしはじめた頃、もう香音は同乗のおっちゃんの肩におでこを預けて眠りはじめる。おっちゃんはおしゃべりな人だったけど、香音が寝たのに気づいたら静かになってくれて、ほどなくしてご就寝。ドライバーとその彼女がふたりで話込みはじめたので、私はぼんやり車窓を眺めつつ、そのうちうとうとしてきて、ふと気がついたらもう、おうちの前に着いていた。

快適に帰宅できて、大感謝の握手で別れておうちに。
会場の建物の一角で雑魚寝的な仮眠室を使うとか、ましてやテント泊なんかしてたらかなり寒かっただろうし(そういう場合の対策には私はまだまだ素人)、今回は帰って来て大正解。夜更けまで居れて、快適に帰ってこられたなんて、大満足である。

良い思い出になりました!

壁絵2

渋さ知らズがウィーンに来て、滞在中にメンバーのペロちゃんがお誕生日で、そのサプライズパーティのためにメンバーが大挙してやって来た。
舞踏の東洋組が飾り付けして、舞台監督+絵描きのABTが料理の腕を奮い、バンマスがほろ酔いになって色を添える。いよいよ主役の到着と言うところで一同、香音の部屋から楽器や鳴り物を探し取り出し、主役を待ち構える。
主役には徹底的にこの企画を伏せ、ダンサー姐御のさやかさんが巧みなアテンドで注意をそらし、ご本人はまったく予想せず登場。
騙して集められたメンバーもいたので、それなりに「人でなし」なことをしてしまったが、それでも人が涙目で喜ぶ場面は美しく赦免的。

ナイショにして準備を進めるなか、誰かの「青健、やりたかったろうなぁ」のヒトコトにドキッとして、急きょ呼びつける。喜んで駆けつけてくれた青健は、ニコニコと壁にお祝いの絵を描いてくれました。ペロちゃんの誕生日だけど、わたしが欲しかったと白状しなくてはいけない。罪滅ぼしに「ペロちゃんへって、書いてね」とお願いしたら、これまたカワイク「ペロヘ」絵文字みたい。ここに住むかぎり、ずっとずっと、預かりますよ、ペロちゃん。

主役だけじゃなく集まるみんなにもシークレットにして驚かせよう、とのたくらみだったけれど、旅も後半に差し掛かり疲れもたまっている最中だったから、この目論見は結構危ない舟だったのかもしれない。そこを心配してやまない人もあって。

サーカスとか旅一座に喩えられるオーケストラは、ステージだけじゃなく旅そのものもギリギリに続けていて、そんな一面を見せて貰いながら、それでもやっぱり、睡眠時間一時間程度のまま準備に駆けつける人や慣れない街で美味しいケーキをもとめて奔走する人、たいそう疲れていても「オメデトウ」と言う時とびきりの笑顔をみせるメンバーをみていると、ああ人間は、いろんなものをほっぽり出して開き直ったら、ソウルだけで生きていけるんだよねホントはね…と、改めて確信することができました。やりたいことばかり優先して生きてるんだから、ストレスなんてためてる場合じゃないわよね。


素敵な壁絵を残してってくれた青健アリガトウ。ほんとに元気そうで、楽しそうで、とっても嬉しかったよ。
病気対策の禁煙に協力した身としては減煙中止にショックなはずなのに、あんまりにもあなたがFineなので、どうでもよくなりました。
それくらい、元気そうな様子、嬉しかったよ。


壁の絵を大切にするってのもどうするべきかよくわからんが、毎日ニコニコして眺めることにします。アリガトウ。

壁に絵を描いた。

夏休みももう終わると言う頃になって、コドモはお風邪をお召しに。お腹に来る風邪、というのか、最初に3日ほどひどくお腹をこわし、その後鼻水で軽く微熱。様子を見つつ、近所のビオスーパー(有機オーガニックのスーパー)の店長さん(女校長みたいな、ちょっと偉そうなおばはん)に訊いてみると「ブルーベリーのジュースが一番」と言う。前に干しブルーベリーが良いとは聞いていたが、それ以上に良いらしい。ただし100%果汁だって。「これをちょっとずつ、2、3日飲んでたら、必ず治る」というので、その他消化に良さげないろいろと帰宅。家でゆっくりさせることに。それを機に私が何をやっていたかと言うと、ちょっくら壁に絵を描いた。

壁を好きな色に塗るというのはこっちの人は気軽にしていますが、基本、“白復帰返却”。何しても、白く塗って返せば良い、ということで、それは現状復帰の原則の日本と同じと言えば同じなんだけど、白で借りて白で返す…までの間の過ごし方が違うと言うことか。壁にカラフルに塗る、ラインを入れる水玉にする絵を描く…なかなか楽しい友人宅を見るにつけ、心揺れていた。
8月上旬、内橋さんが居る間に模様替えをしたので、はじめてリビングらしいリビングを確保できたのだが、そこが今のところ結構がらんとしており、大きい植物でも置きたいけど、高いしなぁ、絵でも飾りたいよねぇ、でもウチに買って飾りたいような絵画って…大竹伸朗の『網膜』。でかすぎ!!… とまごまごしてる間に、じゃちょっくらそっと絵でも描こう、と思い立ったら早かった。


下絵無し、下書きも無し、完全即興…。だからちょっとデカくなり過ぎちゃいました。




カノンもご満悦です。