オーストリアの監禁事件について。

…長々と書いたのですが、たった今うっかり消してしまいました。
なんたること。

呆然としつつ、長々書こうとしていたことは、簡単に“理解できる”なんて言うな。しかし知ろうとし続け、考え続け、思い続けなくてはいけない。
加害者はかつて“我々のひとり”であったのだ。(今もそうだ)
被害者と我々をわかつものなど何もないのと同様に、鬼畜と言われる加害者と我々をわかちてくれるものも実はないのだ。
彼等が背負う十字架を、微力ながら我々も背負わなくてはいけないのだ。
鬼畜に背負えと言う十字架だってそうだ。本村さんが背負う十字架だってそうだ。
それが大人だ。社会だ。ということ。




ああ何てちっぽけ。なんてチンケ。





でもいいの。



また改めて書きます。今日、日本語独語の交換授業したヨハネス君が呟いてました。
「興味本位などではなく、ちゃんと知らなくてはいけないと思う。社会として、向き合わなくては。たぶん、今の僕にとっても、何か重要な、大切な事件なんだと思う。」

こんな感じで受け止めているオーストリア人は、切実に多いのだと思われます。かく言う私だってそう思ってるよ。今の自分とこれからの自分にとって、大切な事件なんだと。


一緒に考え続けてくれようと言う人は、これでも読んでおいて下さい。
http://ukmedia.exblog.jp/8766563/

ベルギーとフランスの女性の言葉は、しかと受け止めるべきかと思われます。
ナスターシャちゃんとか、きっこちゃんとかのよりもなお。





追伸。
アクセス解析に常駐する、“ホモ+小学生”、“エロ+幼稚園児”で検索かけてすっ飛んで来る性嗜好のマイノリティ諸君。いいかげんにしなさいよー。そんな検索ワードに引っかかってる当該ブログもどうやねんと言う問題ですが。妄想と自慰はやりすぎると怖いよ。ツキイチぐらいにしときなさい。