生きていく私なのよ。

 いろいろ書いときゃイイこともあるのに、天の邪鬼に筆の重い、指さき重い私です。

昨夏は久しぶりにジャパンにも帰った訳で、思うトコロもそりゃありましたがね何ともね。
日本語で書いている限り、かなりの割合で読者はジャパニーズな訳で、ジャパンに居ることが少ない私よりも伴侶氏がジャパンでレスポンスを耳にすることの方が多いのはそりゃ当然なのですが、「奥さん最近更新してませんね」と夫に問う方々がどうやら後を絶たぬようです。恥ずかしいです。スミマセン。あと、私の知る限り(知る限りであるが)某巨大掲示板群にて唯一、当該ブログがリンクされている板がかつて有ったようで、それもやっぱり旦那氏がらみの引用でありましたので、はてさて不特定多数読者はそっち方面の話題でも御期待でしょうか。相反して特定少数の読者はやはり、香音少女近況などを御期待でしょうか。
どちらも承知しております故、ああ指重し、筆だるし。

箇条書きとまではいきませぬが、それらのニーズをおさえつつ、近況というかそこそこ書いてみようかなと。

  • 12月

が、間近に迫っております。まじかよ。まったく督促の声が聞こえないものの、物理的な〆切として11月には上げんといかんだろう、と思われる発注を受けており、四苦八苦。あれは去年、アルバム『Golden Green』収録曲の“原詞”を書いたりしましたが、ひょっこり今回もお声をかけて頂き格闘中です。これについては後程ゆっくり。今度は日本語です。悲願の藤野家舞ちゃん作曲です。ルンルンです。で、たっぷり時間があったはずの

  • 11月

だったんだけど、取材のつもりでハンガリーの国境の街へ行ってみたり、ああその前に、コドモの誕生日のために久しぶりに帰国したお父ちゃんが胃痛でダウンしてしまい看病のふりなどしていた11月。その前には梅哲が遊びに来てました。テニスコーツ+梅田哲也の録音を聴かしてもらって、梅ちゃんが梅ちゃんの音で、かなり“ちゃんと”曲に寄り添ってて笑えた。録音のコンディションの都合で梅の音が小さかったのもあって、町蔵がソロになってからの曲のノイズギターみたいなのよね(どっちも音が小さいから不満、と言う共通点さえも)。ある意味、「歌モノに寄り添うノイズのお手本」みたいな音の並べ方!  梅ちゃんお疲れ! でももっと弾けろ!
そんな梅ちゃんがC17でパフォーマンス。電気容量オーヴァーなのか、お得意の扇風機をオンにした途端に一発停電という、事故さえ味方につけるのはいつもの才能。本人が「エーッ」って落胆すんのもいつもながら可愛い。

  • 10月

は、そうあの公演、『BULL』。こっちはやっぱりそう、スッタモンダ。
終わったら清々しい開放感と充実感で万々歳…と想像していたわりには、反省の鉱脈を掘り当てたみたいに次から次へと反省点。特に本番中に失敗したとかじゃ、ないんだけども。
しかも、観にきてくれた友人たちは誰もがコンテンポラリーなアートとかミュージック…の人達だったもので、悲しいくらい芝居が大不評なのであった! 故にみんな、音楽を褒めてくれたりするんだけどもね。複雑ですよね。

しかし、こうして40を前にして遂に音楽に手を伸ばしてしまい、やんわりとタッチしてしまって、心境の大変化が面白かった。
ライブを観に行くばかりでなく、ライブハウスでもバイトしたし(笑)、コンサートやフェスのオーガナイズもかじり、録音の現場にもかかわったりしつつ、いっつも音楽のまわりをウロウロしていた私であるが、音楽を作ってみるって言う、直接タッチすることに挑戦してしまって、ふと気がついたら、音楽好きーって、生まれてはじめてふつふつと思ったかも。音楽好きー音楽だいじーって、ストレートに実感するようになった。コンプレックスだったのね、今までは愛憎入り乱れてたのかも。
今はごーく自然に、「もっと音楽やりまーす楽しいでーす」って言えるし、そして音楽聴くことがぐーんと増えました。そして、こんな楽しいことを独占していたミュージシャン諸君にもう、プンスカです。



夏ねー、夏。暑かったねぇ、日本。

ゲリラ豪雨ってのが流行語大賞には成らんのでしょうか。凄かったすね。しかし実はさきがけること6月7月、ウィーン(欧州)でも同様にありましたの、ゲリラ豪雨。こっちではゴルフボールとか握りこぶし大の雹(ヒョウですよ、ヒョウ)がなんども降ってました。傘が大破する可哀想な人の多かったことよ。で、くるりツアーでの“ゲリラ雨”と“ゲリラーメン”の聞き間違い事件。これは未だ、当地の“ラーメンぐらい知ってる日本ツウ”に説明するとウケてます。


今年の帰国は長かったので、大奮発して仮住まいを用意して頂き、ゆっくり帰ったはずでしたが…、結局後半には電話する時間すら足りなくなるくらい、忙しくなってしまった。バンドツアーという、人様の都合にあわせて動いてるって言うのもあったしね。
役得でいくつかの対バン様と夏フェスをちょっこら覗かせて頂いた訳ですが、9mmとかマスドレとかなかなか見応えのある若者のバンドを観れたのはメデタかった。しかし、ほかの大半はつまらなかった。本当につまらないものが多かった。驚くほど。あまりにもつまらないものが多かったので、大阪のブリッヂ界隈で威勢の良かった通称ゼロセダイがどうしてああまで持ち上げられ、そして大半が今もガンガンやってんのか、逆にわかった。特殊なんだ。大阪のあのゴチャな奴らは特殊に強くて過敏でビンビンで、それに慣れてしまったら格好だけのロックバンドとか、ほんとにぬるくてつまんないのなー。
ということで、夏フェス行くぐらいなら大阪のHOPE県とかMIDI-SAI行く方が絶対イイ! 真理!!


んな中、かつて大好きだったブルーハーツの半分(いや本質的にはほぼ全部)の人と、わりと今も好きなエレカシと、好きになったことなど一度もなかったけどホントにたまたま聴こえた奥田民生。この人らは違った。全然違った。
ブルーハーツの半分の人らは、素晴らしかったよ。居るだけでキラキラ輝いてた。祝福があふれていたよ。もうふたりとも、ルパン3世みたいに細くってさ、余計なものが中身にも外身にもまったく無い。くるりのツアーマネージャー氏が、クロマニヨンズはオフステージでもストイックであるとの話を聞かせてくれたけども、確かにその通りで、ある意味ロックンロール修行僧であった。マスドレのジャーマネが「あの笑顔みてるだけで泣けてきますね」って言ってたけども、まさにその通りで、まったく裏切るところが無く、ロックンロール修行僧の有り難いほどの美しい姿であった。
で、ユニコーンが世代的にぎりぎりズレてしまっている私は、奥田民生にお世話になったことがないんだけど、あの人の声の力にビックリしました。どこかの野外フェスに到着した時、ちょうど通りかかったバックステージで公演最後のワンコーラスが聴こえたんだけども、何!?と思うほど声に力が有ってビックリした。言葉があますことなくちゃんと届いてくる歌声。へぇ〜と足を止めて聞き惚れてたら、終えて降りてきたおじさんは民生はんだった。もう、妙に納得したですよ。
エレカシの宮本君はとっても物静かだった。落ち着きの無いインタビュー映像をそこかしこで散見するけどね。
…って、こういうことを書くのはナニかもしれないんだけど、役得自慢がしたかったんじゃないのよ、嬉しかったのよ。大好きだった、たぶん皆も大好きな人達だけど、何年経っても「ほんものだったよ」ということが。
もっと猥雑に、もっと濃密にこのヨロコビを幾度と内橋さんに語った訳だけど、幸せやな、と言う。
「ずっと好きやった人と、実際に会ってみたり久しぶりに観てみたりして、思ってた通りとか、思ってた以上にやっぱり素敵やったとか本物やったっていうのは、幸せやわ。俺は“生で観てがっかり”とか、なーんやって言うことの方が多かったように思う」と。生で観てがっかりしたのは誰とは言わなかったし、悲しすぎるので聞かなかったが(苦笑)。まぁ、その落胆が、明日への原動力に成ってたっちゅうこともアリかもですがね、彼のバヤイは。
ほんとうに満足だったので、近寄ったり握手やらサインやら記念撮影やら、まったく欲しくなりませんでした。
そういうのは、ほんとにファンと言う人が独占すれば良い。

そうそう、そんなおメジャーな方々に驚喜していたのみならず。


  • 塩屋と下北沢

下北再開発問題を考える集会系のイベント…って言うのもありましたな。
内橋さんはおおたか静流さんとDUOで。再開発って言うのは実は、かなり前(十数年とかかな)に当該地域の議会で可決されたままになってたのが、ここへ来てGo!になってしまい、レディージェーンの大木さんやら地元の人達が食い止めようと反対しているという。

私だってもちろん再開発なんて嫌いだ。
どこも駅を降りたら同じような景観に“再開発”しちゃって、気持ち悪いしつまらない。大型スーパーなんか嫌いだし、個人商店が軒を連ねる駅前なんて、ほんとココロ躍るではないか。
けど、なーんか気が進まんのは、サヨク運動が嫌いだとかそれだけじゃない。家電リサイクル法とか、個人情報保護法の時とかも思ったけど、決まってから慌てて大反対って言うのがね。後ろめたいのよね。
そもそも何で、可決されたんだろう。誰が誰に可決させたんだっけ。そこを大いに反省したいではないか。

時を前後して神戸の塩屋に遊びに行った。森本アリ君に遊びに行くと言ったら、有り難いことに旧グッゲンハイム邸に泊めてくれた。
アリ君はもともとお母さんと妹のサラちゃんが言い出しっぺで旧グッゲンハイム邸を取り壊しから救い、地域財産としての活用と存続に日々奮起している。アリ嫁のマキちゃんもすっかり屋台骨として取り仕切っていて頼もしいし眩しいほど。
私らの滞在中にも、アリ君は地域振興の会合にきちんと参加していて、一緒に塩屋を歩くとおっさんおばちゃん、カフェの兄ちゃんと、たくさんの人から声がかかる。
塩屋の駅は小さくてこじんまりしていて、線路の山側にグッゲンハイム邸があり線路の海側はすぐ瀬戸内海。美しい。山側の“駅前商店街”は細い路地が入り組んでいて、陽当たりの良い迷宮感がある。ガタイのでかいアリ君はその路地では到底おかしな取り合わせなんだけど、「どっから帰ってきても、駅を降りたら“塩屋サイコー”って思うんよねー」と言う。東京やニューヨークから帰っても、南欧から帰っても。お題・再開発の筆頭大義“緊急時の消防車の出入りが…”というのにも、アリ君は真っ向から否定して、「そんなんおかしい、消防車に合わせて町づくりなんか。どっからでも十分な給水とホースを整備すればいいことだし、必要ならここを通れる小さい消防車を作れば良い!」。
塩屋の今後について詳しい現状を知らないけれど、資本主義の世の中だし、政府も行政も公共投資の発想が硬直してしまってるし、再開発の罠は常にあるんだろうと思う。その上でアリ君はグッゲンハイム邸を有効に活用して次々と活動実績をどんどん更新しながら“会合”にも顔を出して、睨みをきかせているのだ。はたと気づいた時の、後の祭りにならぬように。

下北は残念だ。塩屋の何倍の規模で、もの凄い数の人々が根城にして、行き交って、独特な街を作ってきたと言うのに。
吉本ばななが作文を寄せていた。運動の中心人物のおじさんが朗読していた。どうやらすごく評判が良かったみたいだけれども、虫酸が走った。
“私は物書きだから書くことしかできない”、と書いてよこしたその作文は、聞き心地良く毒も無く、何も生んでいなかった。
「失うものを惜しむ美文」なんて、誰にだって書けんじゃないのーと、鼻くそをほじる私だった。



そんな、何とも居心地の悪い集会のコンサートだったので、山本精一は痛快でした。言動も、佇まいも、歌も音も。
あの人のバランス感覚は絶妙。最高な絶妙、アンチの塊。魂の塊だった。あの場には、あの人がいたことが救いだったはず。
んな中、精一氏の隣に居たひとが、5年くらい前Phewさんのキリム屋さんを手伝いに行った時おなじく手伝いに来ていたあの人だったとは…! 

山本精一さいこー。山本久土さいこー。ついでに山本達久もさいこー。ついででごめーん。