季節酒と追悼。

お酒の話。
このへんでは、シュトゥルムというこの時期限定のお酒が飲めます。
ワインを熟成する過程の、醗酵途中で濁った状態の、甘味と酸味のあるお酒です。もちろん赤と白両方あって、活性途中のシュワシュワした状態なので栓をすると破裂してしまうらしく、瓶で買うと銀紙で口を塞いであるだけの状態で売られます。知らずに冷蔵庫にぶっ込んで寝かせようとして、じゃわじゃわと芳香あふれる液体が流れ出して慌ててしまいました。しかも冷蔵庫に入れると醗酵が減速するらしく、常温でもヒンヤリしてるから通常冷やす必要は無いとあとから教わりました。で、口当たりもよく渋みや苦みも無いお酒なので、ワインすら苦手な人でも飲めそうなものですが、その若さ元気さからやはり回りも早く、気をつけないと気がついたらあらまぁビックリなことになるから要注意。しかも乳酸菌だか「ヨーグルトより強い」んだとかなんだとか、体質体調によってはトイレ直行の危機にさらされるほどお腹もグルグルしてきます。わたしめは、はじめて飲んだ先日某日はお腹は大丈夫だったけど気がついたら酔ってるやんけ私、とかなり仰天。友達が帰ってから、隣室で香音が寝てるにもかかわらず4畳半フォークがんがんに鳴らして爆睡してしまいました。翌朝香音ちゃん、「きのうのよる、ともべさんきこえたよー」とニヤニヤされました。内橋さんが送ってくれた友部正人。やっぱ「にんじん」が好きだわん。


で、シュトゥルムより更に若い状態が「ほぼ」ジュースと言われる「モスト Most」。いい名です。持って来てくれたトモミンの助言のもと、香音ちゃんに上げてみたら大喜び。普段ジュースを好まない彼女がグビグビ飲むほどの美味しさでした。・・・それもそのはず、モストでも既に若干のアルコールが含有されているのでした。友よ、目新しい物を持参する際は、情報はきちんと確認しましょう。

で、それでも懲りない私は、きのうの朝市でまたもやシュトゥルム売りのおじさん屋台を発見。小さい方の瓶で頂こうと歩み寄ると、デカイのかチイコイのかと聞いてくる。瓶のサイズではない、お味見の盃サイズである。いやいや小さいので、と言っても、小さいジョッキにダブダブッと注いでくれて、しかもコップが要るからすぐ返せと言う。彼は友達にも客にも、恐ろしくじゃんじゃん味見させているのだ。言われるままに味見して、あふぁ〜、ありがとござんす、頂きます、買わせて頂きます、と、一瓶もとめて逃げ帰ってきた。すっかり悪癖となった寝酒にしているのですが、昨夜はこれ、大変で、もう、忙しいったらありゃしまへん、トイレ、着席飲酒、トイレ、着席飲酒・・・。座ってる間も下腹部は始終ゴロゴロと、夏の終わりの南の空の様。しかし弟に似てイヤシい私はあきらめもせず、負けもせず半分以上飲んで、残りも今宵飲んでるのですが、今夜はなぜかゴロゴロ来ない。う〜ん、昨日と今日では私も酒もコンディションが違うのか。生きてる酒って感じです。


このシュトゥルム、私もこの間まで知らなかったし、内橋さんもまだ未体験。それが、先日美味っぷりを報告したところ、「それ、こないだボガンボスのKYONさんがしきりに言うてた酒や!」と膝を叩いておりました。そう、ボガンボスのどんとトリビュートイベントで出会ったKYONさんが、ウィーンに詳しくやたら美味しいもんの話をして恋しがっていた、とこの間言ってたところだったのです。



どんと、トリビュート。
しばらく前にはフィッシュマンズトリビュートのイベントもあったとかで、遠く離れたわたしはふう〜ん、そういうタイミングなんかァ・・・となんとも不思議な気持ちになってしまった。


その昔、ちょっとだけ京都の老舗ライブハウスでバイトをさせてもらったことがある。その頃のわたしはと言うと、まぁ親も見てるブログなので詳細はひかえるが(苦笑)、反社会的というか成人した非行少女というか、一社会人としての義務と責任を怠っていた頃なので(かなり苦しい・苦笑)、ろくな文句も言えないのだが、バイトで入ったライブの中ですっご〜〜く後味悪いイベントがあった。村八分のチャーボー追悼イベントである。出演者もお客さんも、当時のその成人非行少女だったわたしが日夜お世話になっていた方々がごじゃごじゃにおったので、あんまりどうこう言えないのではあるが、いやそれでもなんとも、夭逝した孤高のミュージシャンを思い、集い、飲み、泣き騒ぐ、と言う寄合い(しかも白昼である)に、ほんとにどんより、やるせない気持ちになってしまった。
なぜか。
そこで音楽してたから。
ヨタレのオヤジのバンドから、当時京都で輝いていたラッキィリップスまで。ラッキィリップスは王子様みたいに輝いてたのに、聴く者も共演者も、誰もがチャーボーの死にボロ負けしててさ、当たり前かもしれんけど。ギョエ〜ンと鳴ってるリップスが、勿体ないっちゅうか逆に悲しかったかな。・・・よく思い出せないけど。
 今勝手にまとめちゃうと、活きてる音楽は必ず何かを生むのに、なのにそこに生まれっぱなしの嬰児を見殺しにするダメダメの場が、やるせなかったっていうか。今ここで、何かが生まれてるのに、呑んだくれて泣いてる場合かよ、おっさん、おばはん!と、苛立ったのだよ、若きわたしは。
そして、おかんに成ってなお思う。昔のおかんは偉かった。老人が死んでも、赤子がおったら乳あげとった。とーちゃんが死んでも、子らが泣いたら飯炊いとった。泣きたかったら、乳やりながら鼻をすすり、オクドさん吹きながら嗚咽しとった。・・・やろうと思う。かっこええ。これこそロックです。パンクです、ブル〜スなんです。
もちろんね、集まって呑んだくれたい、泣いて騒ぎたい、そういう俺達馬鹿なのよ死んでも治らないのよ同盟、も捨て難い。果てしなく。ただね、やっぱりそれは、小ちゃい飲み屋か、誰かんちでやりましょうよ、って、思うのよね。



で、わたしはボガンボスもフィッシュマンズも、熱狂した経験は無いのですが、まわりで彼等を愛していた人は少なくないし、内橋さんを通して知る人に、直接かかわった人々も結構いる。内橋さんは特にフィッシュマンズはかなり接近してる。
わたしはというと、京都が地元たるボガンボスはほろ苦い感傷もあったりするが、まぁ感傷抜きにも、KYONさんはライブハウスのその頃(すでにボガンボスは無かった)、酔っぱらいの接客中、プチピンチを助けてもらったことがあって、そのことがずっと心に残っていた。
ボガンボスのイベントにUAと参加する、と言うので「話せたら、お礼を」と言付けたら内橋さんは話しかけてくれたらしい。わたしのことはもちろん記憶に無く(良かった…)、しかしながら「ウィーン」にえらく反応されたらしい。シュトゥルムを今すぐ飲みたいと言わんばかりに、熱く語っていたKYON氏・・・。また、ベースの永井さん(京都ではみんなくん付けだったのでちょっと不思議だが)は、UAのセットをえらく気に入ってくれたらしく絶賛してらしたらしい。ボガンボスの人らはええ人らやった、と、随分喜んでた。芸歴の長い内橋さんにはちょっと珍しい「出会い」だったみたいで、いい夜だったらしい。「トリビュートイベント」にも、そういう新しいこととか、起こるんやなと思うと、ちょっとホッとしたと言うか、ココロからトゲがちょっと抜けた気がしました。