変な朝

変な朝なんです。

ちょっと寝過ごして、だけど昨夜の残り物を食べさせて(遅れる時は仕方がないし)とか思いながら、特に焦ることもなくせかすこともなく家を出る。
通りに出たら目の前をバスがブー。このタイミングの悪さ、久しぶり。仕方ないのでバス停でものんびり待って、ようやく登校。5分ほど遅刻してるけど、先生は笑顔で迎えてくれる。がしかし、そこで「ちょっと時間ありますか?」。

聞けば、香音が最近、「ないんだんけ!」と言ったきりへそを曲げたりやたら乱暴に怒ったりして時々手がつけられないんだと言う。特に先日の月曜は一日中機嫌が悪く、ヤダヤダと怒っていたらしい。そんな月曜でも、わたしの前ではいたっていつものカワイコちゃんだったんだけど。
体調が崩れる兆候かしら、何かしらと先生も気になっていたらしく、またお誕生会以降がヒドいような気がすると意見を求められた。
まず第一に、お誕生会の2日後パパが日本へ行った。やはりこれは大きかろう。お誕生会が大騒ぎで賑やかだったから、その反動もきっと計り知れないのではないかというご意見。なるほど。また、私の意見として、わたしが家で厳しすぎるのかもしれません、と言った。先生たちはそれなりに自分たちも厳しさには自負があるらしく、私たちだって厳しいですよ、とおっしゃるので、日本と欧州のポイントの違いの話になった。
たとえば、食べ残しや好き嫌いに関して。もちろん日欧限らず厳しい家庭もあればノーケアの家庭もある。けれど、一般論としての“残さず食べましょう”“最後の一粒まで残さず食べることはとても良いこと”“嫌いなものも我慢して食べるのはいい子”みたいなスタンダードが、やはり日本の方が強い。家庭に差はあれど、「いらなければ食べなくても良い」とあっさり言う親が、こちらの方が断然多い。香音はこっちへ来てから、「これとこれはいるけどこれはいらない」と言ってのける子ども、ろくに食べてなくても「おなかいっぱーい」とフォークを投げ出す子たちにはじめて出会っている。そしてすぐ真似して親に叱られている(苦笑)。
こういった食事に限らず、欧州は子どもの自立性、自律力を育む目的のもと、自分で決めさせる、好きなこと言わせるという傾向が強い。私自身は特に強権的に育てる気もないし日本式を選んでるつもりはないけど、でも出されたものは文句言わず食べて欲しいし、大人に言って良い言い方、いけない言い方などに目をつむる気に到底なれない。その匙加減は大変難しいし厄介。
一方香音は、「わたしはいいの、いらないの」と、「自分も言って良いんだ」と最近学んで、言い試してるんじゃないかと思う。だから時々、唐突にわがままな物言いをして「そんな言い方大人にしてはいけません!」と叱ったらビックリすることもある。もしかしたら家でNOと言えない分学校で言ってるのかもしれない。それもあるかも。でも、こういったカルチュラル・ギャップを受け止めながら、良いこと悪いことのボーダーを探っているのかもしれない…。
「kaeが今日、時間があって良かったわ!」と言いながら、会話は常にポジティブで決して閉口したり暗雲が立ちこめたりはしなかったけれど、手を焼かせてるなぁと少し申し訳なくなった。
先生たちは常に、「他の子ども達はほんとに香音を愛していて大好きだから、基本的にはうまくいってるんです。でも、彼女があんまりスィートだからとみんなが香音にあまくなってしいまうのは問題です」「あの子は凄くよくわかっていて、言葉がわからなくっても表情や相手の感情などにはとても敏感」などなど、困っていることだけを告げるのではなく生活の全般を見渡した視野で話してくれるので、わたしも無駄に弁護したりする必要がない。要は、問題が有って困っています、という報告や何らかの答えを求めているのではなく、さらに広い視野でものが見られる様に、更なる情報を求めている、という具合。そして最後には、本人を連れてきて先生の膝に抱き「お母さんとあなたの話をしていたわよ。ねぇ、今日はもうヤダヤダばっかり言ってないで、みんなで楽しくしましょうね、何かあったら怒らないで、相談しましょう、ほら、ママもぜんぶ知ってるのよォ」と悪戯っぽく話しかけた。わたしは本人が喜んで学校に来て、毎日学校を心から喜んでいるのはお迎えにいった時よくわかります。ウィーンに来て幼稚園に通った一時期、もっと苦労していたことがあってその頃は、お迎えに行くとあきらかに疲れた顔でした、と言った。すると、なんと香音は小さい声でひとりの先生に「ようちえん、わたし、こわかったの」と言った。Angust(怖い、恐れ) という単語を言ったのだけど、幼稚園に関してそう説明したのははじめてだったし、先生も私もちょっと驚いた。でも、心中の思いを言葉にできるというのはとても重要で大事なことなので、この時は先生も香音の心の声を聞いたように、神妙に聞いてくれていた。
先生は、拒絶や反発というのも発達のプロセスとしてはとても重要だし、総合的に見ていきましょう、と言ってくれて、来週末から日本に行ってくることはきっと功を奏すると思う、と私すら感心するポジティブシンクで話を終えてくれた。香音と丁寧にバイバイさせて頂き、学校を出ると雨だった。


変な朝はまだ終わらない。


小雨の中バス停へ行くと、また目の前でバスが通り過ぎた。本日二本目。ため息とまじりにバスを待ち一旦帰宅。独語コースへはどうせ遅れるし、いったん家に帰って一息つこう…なんて思っていると…ガーン。 鍵を… 持って… 出ていなかった…。

半年ほど前、まったく同じ失敗をしてしまい、鍵のサービスを呼んだことがあったので以来、鍵の持ち忘れにはたいへん注意してきた。こちらのドアは閉めると鍵なしでは開けられないので、いつも出かける時には“声に出して”鍵を持ったか確認していたし持ち出し忘れるのを大変恐れていた。…のに。
どう考えても、今朝その自問すらせずに出かけていた。つまり玄関先であっと思った時には、鍵を持ち出した記憶がないばかりか持っていない確信を直感した。私はあまりにも鍵を忘れた事実に関してシュアーだったのだ。
呆然としながら、住まいの上に住むスタングルさん宅のドアベルを押す。しばらくして、婦人が小さな声でインタフォンに出る。名を告げると「あら、もしかして鍵を忘れたの? いらっしゃい」との返事。建物に入り、自分ちのドアの前でしばし呆然とし、重い足どりで二階へ。婦人はドアを開けて待っていてくれた。
熱いお茶を入れてもらって、私は馬鹿です、あーバカバカ、と繰り返していると彼女は「夫ならできるんだけど…」と言いながら工具を持ってきてくれた。普段の水曜のこの時間は居ないのよ、と笑いながら、彼女は試しに自宅のドアを取り出した工具で開けられるのか試してみた。すると、目の前で彼女は自宅のドアを工具だけでパタンっと開けてしまった。
ふたりで階下へ降り、うんとこしょ、よっこしよ… 何度も何度もやり直して、そしてやっと…ドッター!との音とともに扉が開いた。
「午後は良い日になると良いわね」スタングル婦人はそう言って、爽やかに去っていった。


午後はほんと、平穏に過ぎますように…。