オーストリーより(笑)

 怒濤のお誕生会の記録より10日もあいちゃいました。失礼しました。その間に滞在国の日本語正式表記がころっと変わっちゃいました。棒が二本もあると間抜けだし、字面的に“オーストリア”の方が綺麗だと思うんだけどどうでしょう。まぁ定着しないでしょうとの意見も散見されるので、気にせずほっときます。

なんて言ってていいんだか。というのは大使館だか商務部だかのポータルサイトでこのブログが紹介されている模様。なぜか私は“グラーツ在住”と成っている様で。
権威主義日和見主義で極右な私は、いかなる事実ももみ消して今日からグラーツ在住ってことにして話を進めますのでどうぞよろしく(笑)。行ったことないけどw。


で、ここ数日の生活というのもお金がない以外はきわめて静かに(苦笑)、つつましやかに過ぎております。
帰国までギリギリ生活なので、お土産は期待しないでください(涙)。お土産がろくにないからと言って、愛情や敬意が激減した訳ではないので、どうかご理解を!


近況。
大宴会の賜物か、あれから「こんどうちに遊びにきてね」の声を聞くようになりました。
そりゃ、相手の生活を垣間見たらガードも緩むし、じゃあうちも、って成りますね。よく知らない人と仲良くなるには、やっぱりうちに招くというのが一番手っ取り早いのかもしれません。孤独な主婦の皆さん、頑張ってください。どんなにトッ散らかっていようが、玄関先からグッチャグチャのわやくちゃになっていようが、そこにシンパシーを感じるもしくは許せる人というのが、結局は声をかけてくれるんでしょう。というのは、実はお誕生会のお迎えに来た親達の中でも「こんどまたゆっくりいらしてください」と言うと一瞬鳩が豆鉄砲的に“それは無理!”な顔した人とかもいたのが秘密だけど事実(大苦笑)。ま、いいんです。意外とそういう親(オフでものりのきいたワイシャツを来てピカピカの革靴で整髪してらしたりする)の子(お誕生会にピアノの発表会みたいな服装で登場)が、親の居ぬ間にハッチャケて大暴れして物壊してたりしたのですから(笑)。気にしない気にしない。子ども同士が仲良くできたら、それで良いではないですか。

その中でとある二年生くんのお宅にお招き頂きました。彼は二年生で香音とお誕生日が1日違い。香音が12日の午前0時半に生まれでなおかつ時差を考えたら同じ日に産まれたと言えるかもしれないんだけど、そんな訳でお互いのお誕生会がぶつかってしまい、改めて遊びましょうとお招きくださった。
おうちはスッカーンと綺麗に片づけられており、クラシックが流れ、奥様はシルクのブラウスを着ていたことを見逃さなかった。むむむっそそうの無いように頑張らなくちゃと心の社会の窓をそっと確認し、頭の中のドイツ語学習帳(薄くて字が大きい)を全力で閲覧、たいへん緊張してしまった私であったが、ケーキを頂き子等を遊ばせ、お茶を飲んだりしてる間にポロポロと奥様の素顔が。子等がいい感じになると写真を撮りたがり、しかも遊びに夢中の息子に向かってやたらカメラ目線を懇願するあたりに日本人っぽさを感じていたら、10年程前に日本を観光で訪れていたことが発覚。どこへ行った何を観た、というのも結構ちゃんと覚えていてちょっと関心(やたらエキゾチックさを面白がって帰ってくる人は具体的に何も覚えてなかったりする)。
iPodが手放せない、という奥様、内容は実はラモーンズとか(苦笑)、パンク、ブリティッシュロックが昔から好きで今もよく聴いていると言う。うひゃひゃ、普通じゃん。
旦那も帰ってきたところで、パスタでも食べてって、と言われ、「全身真面目人間」な旦那様に独和辞書(持参していた)についてやたらとシステマチカリな質問攻めにあい、ひゃー答えられねぇと内心ヒヤヒヤしてるとまた美しいアンティックの食器がやたら並ぶ。ガッチャン!ってしないように、スパケッチをズルズルしないようにと気をつけていたら、ワインが出てきて、こんどは本性出さないようにと気をつけていたら旦那様はお水を飲んでいる。病気をしてからあれとこれを控えてこれを辞めて云々、辞書を繰って探し当てた病名は“痛風”であった。
しかし、大抵のドイツ人、オーストリア人の手料理がそうであるように、アルデンテとは程遠い茹で加減などに内心逆にホッとしたりなんかして、そしたら食後に良いものを見せてあげると言う。客間に移るとそこに有ったのはなんと、50年代型のジュークボックス! 結婚記念にドネーションで頂いたと言う。みんなでちょっとずつ出し合うやつね。
日本の飲み屋なんかに有るのはたいてい70年代型(デザインコンセプトは50年代風だけどやはり違う)で、正真正銘の50年代型は久しぶり。覗くとまた、たいへん庶民的で同世代的な(笑)選曲だったので笑いがこみ上げてくる。ロッキーホラーショウな選曲で子ども達を踊らせつつ乾杯してる隣室では、通風のご主人がフルーツティを飲みながらネットサーフィンしていた。
帰りは家族でバス停まで送って頂き、道すがら、大阪で歴史的なコスプレのお祭りを見物した、との話が。なんですかそれ??と困惑してると帰宅後、「あのお祭りはジダイマツリというそうです」とメールが届いた。王朝文化のコスプレをする、歴史的なお祭り…。彼らの目には京都三大祭りも幕張コミケもひとつの線上に浮かび上がる現象なのだろうか…?


一方、
先日やっとのことでYUKA先生のウィーン大学日本語科の授業を見学。これは面白かった。二年生の実用会話の授業なんだけど、へぇ、こんなこと習うんだ、こういう風に教えるんだと思うこといっぱい。外国語として学ぶ英語、独語のネイティブレッスンなら結構知ってるけど随分違うのは、やはり日本語が言語として全然違うし文化も違うからってことだろうか。面白い。“アシスタント”として日本人留学生の皆さんが継続的に熱心に参加しているのも見受ける。ボランティアでも約束したら言われなくてもちゃんと来る日本人的な生真面目さ、というのも感じつつ(今時の若い人もちゃんとしてる人は居るね!)、留学生としてのプレッシャーとかコンプレックスを良い意味で緩和するだろうなと思ったり…。
先日の宴会に学生諸君の協力を得てすっかり味をしめた私は、今後も彼ら彼女等を飯で釣り、大いに交流することを決意。その作戦のひとつとして、自炊に窮する文法マニアな学生君に独語補習をお願いすることになりました。わーいわーい。独語コースに行ってる間、さらに勉強というのは正直キツいが、日本で独語を学んだことがないから色々不具合が有るので一回小一時間、宿題につき合ってもらう程度でとお願いしてみたら快諾してくれた。ラッキー。
思い起こせば神戸時代は、うちは若いミュージシャン諸君がしょっちゅうご飯食べに出入りしていた。お金が無いときは山ほどもやしを買い込んで豚バラともやし鍋をみんなでつっつき安い酒でワイワイしていたものだ。夜中に何にも無いから切り干し大根をカレー味にしてごちゃごちゃっと炊いたら、徳島の川端さんが感心してぜんぶ食べてくれたこともあった。お陰で赤ちゃんの頃の香音の写真はいつも家族以外の誰かが映っている。町田に越して機会が減り、こちらへ来てからもこういうことは減っていたけど、そろそろ生活も落ち着いてきたのでこれからはまた、ね。


なぁんて気分になれたことの大きな要因。
家賃上げて、使ってくれと言われたものの持て余していた奥の部屋。
お誕生会ではガランとした遊び部屋にしてみたら、子どもに受けたもののケンカするほど大暴れ(大苦笑)。一方夜には来客と住まいの話になり、ここ特有の不便さを大いに愚痴らせてもらった。で、たっぷり愚痴るとやはり後味が悪く、もともと愚痴をこぼすのが好きではない性分がめらめらと燃え上がってきた。居心地が悪い悪いと言うならば、居心地良くすれば良いじゃないか!
ということで、内橋さんと一念発起して宴会の翌日に模様替え敢行しました。
香音は産まれて6ヶ月でひとりで寝させることに成功し、いつも小部屋を与えていた。ひとりで寝られることに多くの人は関心していたけれど、1才半で手術入院をするため、ひとりで寝られるようにしてやるのは重要だったのだ。ここでも最初から、キッチン脇の小部屋に作り付けたロフトで寝ていたんだけど、お陰で夜はやはり物音をずっと気にしていた。一方私らは香音がすっかり寝静まった頃に寝るのが常だし、じゃあ奥の部屋(結構広い)で全員寝ようかしらと思いついた。産まれてすぐの赤ちゃんの頃以来、旅の時以外で同室に寝るというのはほぼはじめて(笑)。なかなかいいもんですね。真夜中にお布団かけてあげられるし。そしてキッチン脇の小部屋は、ロフトつきの内橋さんのスタジオに成りました。お客様はロフトでお休み頂けますので、こちらもまた御贔屓にw。

ベッドがいなくなった真ん中の部屋はスッキリしてガランとして、勢いでソファ購入を決意。さっそく安家具屋で物色。
お陰で財政難はリボ払いと共に続く(大苦笑)。

愚痴っていた気分もこれで霧が晴れたようになって、愚痴らせて頂いた方々に大感謝。めでたしめでたしです。

という訳で、ソファが届くのは12月中旬ですが、皆さんどうぞお気軽に出入りしてください!
あ、しかしソファはアイボリーなので、しばらく赤ワインは禁止にしましょう。だって私が酔ってこぼして落ち込んだら、お客さんが居心地悪くなるでしょ?(笑)