許すまじ、東京。

約7時間です。

我が住処(都下、と呼ぶらしい)から表参道の目的地まで、渋滞と精神戦を戦いながらじりじり向かい、一時間のお買い物を経て再び帰宅するまでの所要時間。あるお買い物の目的を果たしに、都内で用を済ませようと思うと、平気でこれくらいかかり、簡単に一日がつぶれる訳です。おかしい、何か狂ってます。
もちろん、大前提は「行かなければ良い」のです。
郊外都市にもトイザらスとか、そこそこ揃った店もあるし、お取り寄せだってできたろう。
でも、郊外都市に用意された“気の利いた店”って、なんとも人工的で気持ち悪いのです、私は。例えば今回はるばる向かったのは表参道にある「クレヨンハウス」。
私の知る限り日本でいちばん初めにできた絵本の専門店である。
表参道と大阪の江坂にあって、江坂の店は小学校の頃、母が何度か連れて行ってくた思い出深きところ。「クレヨンハウス」は絵本専門店のいわばパイオニアな訳で、まあ数十年とは言え敬意を表したい歴史があるのだね。でも、例えば郊外都市開発のついでに大企業などが仕掛けた“気の利いた店”って、なんだかイージーにパイオニアをコピーしてホラ出来上がり、って作ったみたいで、なんだか気分悪い。品揃えはパイオニアに勝るとも劣らなかったり、資本力で在庫が豊かだったり、たまには価格で勝ってたり。でもすべての動機が「売れるから」。なんだかなー、なのである。
そういうのがなんかイヤで、タマプラとかニコタマとか、みなとみらいとか、そういうところすべてすっ飛ばして行ってしまうんだな、表参道まで。
それにしても表参道って、もっと小さな「街」だったんだろうなあ、と思う。今やもう街、大きすぎ。前にポーランドで「東京の中心部って、どんなとこ?」と気軽に聞かれて、気軽に答えられなくて困ったことがある。あのダイナミクス、あの馬鹿デカさ、わけわからなさ、知らない人には伝えられない。むかし、はるなが“ニューヨークでのように地下鉄地図を頭に入れてなきゃ街で恥ずかしい”と思って東京の鉄道路線図をはじめて入手した時、唖然としてあきらめたらしい。NYでは駅で路線図とかを眺めるのは田舎者だけ、なんてムードがあったらしいけど、東京でどっか行きたい時、何も見ずに乗換を指導できる人なんて居ないもんね。自分の生活圏外の路線図なんて、誰も覚えてないし、お財布に入るサイズの路線マップを持ってるのが東京人、と言える。こんなスケール、知らない人には想像できないと思う。でもそんなスケール、身体に毒だぜ。



つくづく思ったのは、同じ首都でも「首都村」ともいえるピッコロサイズのウィーン。あそこだと、このストレスがない、街が人間サイズ、って気がする。あれとこれと・・・と、買い物するぞ!と出掛けても、段取りよくすれば2時間ほどですべて終わる。東京だと一日でできない買い物量だって。あれとあれとこれ、この日は買い物デイ、と決めていても、終わってから一旦帰って休憩して散歩に出掛けてそれから晩ご飯、それくらい時間が残る。午後からスタートしたとしてもだ。街が小さいから、ビルから見下ろしても吐くほど人ゴミがないから・・・。人間の住む街という気がするなあ。
でもちょっと考えてみたらアジアの大都市って、結構みんなプチ東京って感じがするなあ。シンガポールとかは知らないけど、どうだろ、アジア人って、やっぱりパワーが違っていて、雑踏とかビル群とか、平気なのかしら・・・。



ちなみい空いてたら今日の用事なんて半分の時間で済みます。
単に渋滞。渋滞の原因は車が多すぎること以外にも色々あるようで、人災といえる要素が東京には実に多いようです。それを肌で感じつつ、だから余計に腹が立つのね。