学習      

子育てをしていたら、子どもの周りで起きる総ての事象から学ぶことが出来る。我が子が直接関与してないときでさえそうなのだから、小さい子どもを加害者被害者でくくってしまったらもう、何も学ぶことは出来ない。

誰もが子育て途上、親途上。だからお互いの子育てに口出しできる人なんかほんとはいないはず。いっしょに考え学ぶ気概も無いのにする口出しは、ただの身の程知らず。

幼児なんて、どんな子だって可愛いもの。どんな子だって、かかわっていたら情もわくし可愛くもなる。簡単に、他人の子を嫌いになったり敵対できる親って、信用できない。その時点で、自分の子どもを拒絶されることを肯定してしまってるんだからさ。不幸。

6歳にもなる子の遊びの中での日々のトラブルに介入する親。大きな生活の流れの中での一場面として見守り、自分たちで乗り越えるのを信じて待つ親。介入する親は子どもが自力で乗り越えるのを見たことがないだろう、と言う。子連れで遊ぶと、日中どんなにケンカしたりもめたりしていても、夕方には仲直りしてなごり惜しんで別れるではないか。そのプロセスに秘められた大きな前進。感動する親、「しつこいんだからあ」と引っぱって帰るだけの親。

無責任な「専門家」の文言から聞き心地のいいフレーズだけ頂戴して勉強した気になったりしないで、このあいだとか今日のように、目の前のできごとが前より違って見えるようになれる発見、学習をしていたいものだ。
香音の同年齢の子どもやその親(の勤勉な人)とかかわると、いつまでも小さい子・できない子扱いしてはいけないと、そろそろ次の段階の人格としてみてあげないと、と教えてもらえる。例えば自尊心とか、例えばもっとできる(ようになる)かもしれないからと待ってあげることとか。子どもが日々成長しているのに、親が思いがけず止まってしまうことも有るものなんだな。4歳、5歳、6歳、ケンカの仕方も微妙にどんどん変わってきている。親としてのケンカの対処も成長にあわせて変わるべきだよね。私も香音を去年一昨年と同じように扱ってはいまいか。総点検。