幼稚園で図書当番   

今日は「図書の日」だった。

香音の幼稚園では全員のお母さんに「図書当番」というのがある。母の会で主宰する特設図書室に子ども達が定期的に本を借りにくる。この時ばかりは先生は脇役になり、子ども達を“接待”するのは母ちゃん達だけだから、直接のふれあいということで結構みんな楽しんでいるボランティアだ。その運営をするのが図書委員会で、私もその一味である。普通なら年に1、2回しか回って来ない当番が担当委員は5、6回あるはずで、非番のお手伝いなども含めると今年は結構参加している。
香音は本が大好きだから、図書の日は大興奮、とりわけお当番母ちゃんの中に私を見つけると更に大興奮!である。
絵本が好きな子どもは多いかもしれないけど、香音の本好きは筋金入りだ。あまりにも本ばかりに執着するので、病的に見えて親が怖くなったりするほど、一時は本を隠そうか、と思ったほどである。
「うちの子も本好きですよー」という人でも、半日、数時間いっしょに居るだけで香音の“並外れた本好き度”を目の当たりにすると「参った!」とタオルを投げる。

というわけで、私も絵本選び、取り分け「絵」選びには自然と力が入る。真剣勝負だ。もちろん物語もチェックするし、いろいろ注意して絵が好きでも絶対選ばない種類のものもある。が、「絵」に関しては、「絵画」との出会いだ、と思っているから、かなりかなりこだわっている。
ただ、残念ながら、そうして選ぶとどうしても輸入のものが多くなってしまうのが現状。日本の絵本は、どうしても「絵本用に描かれた」ものの域を超えない。最近はやりの酒井駒子さんは、その中では群を抜いていると思う。絵本専門家ではない方のでは、「ジャリおじさん」を越える作品を私は知らない。
(「大人向け絵本」みたいなものはおびただしい数があるけれど、あれらは“子どもっぽさ”が美徳であるかのような、日本特有の気持ち悪いカルチャーを匂わせるので、私にとっては論外。)


もちろん、結局は「親の好み」になるのは当然。そんなこと避けられるもんじゃないから。そんなこというと、倫理観、善悪のメジャー、テイスト、基本は総て親の影響下なんだからと自覚しておくべきだ。


真剣勝負で選んできたからだろうか、いまだに香音は「ええ?これ??」と思う本をねだったり借りてきたことがほとんど、うん、全く無い。字を教えてないからストーリーに関しては別だけど、絵に関しては抜群の選別眼を発揮してくれる。一見私がえ?と思う本を借りてきても、読み聞かせるうちに納得することもしばしば。
私よりもヴァリエーションが広いと言えるかな。そして最近は、私が一生懸命選んだ本は大ヒットする。結構自信がついてきた。お互い、真剣勝負なのである。


一度、ウィーンで木のおもちゃの専門店に行った時のこと。
お土産やらを選んでいたら、一時間以上経っていた。うろうろしたりしつつも、香音はそのほとんどを書籍コーナーの前で過ごした。
お店の一角に小さな本棚がひとつあって、そのうち半分くらいはシュタイナー関係書籍や大人向けだった。小一時間たった頃、香音は一冊の本を手にやって来た。「ママ、ノンちゃんこれ買う。買って」と差し出したその本は、テキストはもちろんドイツ語で新書サイズより少し大きく分厚い。挿絵が淡い色合いの総カラー、猫やネズミが珍奇な発明品を次々使っているものだった。大人が見ても可笑しいイラストで、私にしてみると趣味が良かったし、驚いたのは店に案内してくれたマルティナだ。
横からその本を覗くと、目を丸くして説明してくれた。
「テキストも、ナンセンスなユーモアたっぷりで、私たちも楽しめるわ」と言う。
「読んで」と頼まれたのには参ったけれど(ドイツ語だからね)、彼女の中に確実に育っている趣味や傾向、という小宇宙を感じて、絵本選びの真剣勝負にさらにやる気がわいてきた。