決して演劇ファンではない私ですが・・・。

たまたま見つけた徳永さんのご意見。しごくまっとう、と思うんだけど、どうやら演劇当事者の人たちは自覚がなかったの???? と、そっちの方に驚いてしまった。トラックバックすべてに目を通したわけではないけれど・・・。

http://cparts.txt-nifty.com/cparts/2004/09/post.html


■私だって熱心な演劇ファンじゃないからさ
だからまぁ演劇周辺について語る権利もないのかもしれない。だから誰も私の意見に左右されないので、いつもの通り私の日記だからとずるい前提を置いて好きなことを言う。
ただひとつ言えることは、私は熱心な演劇ファンではないけど、潜在的な、未来の上顧客であるはずだ。なぜならメディアとしての演劇は大好きだからだ。
ほんとに小さい子どもの頃、“将来の夢”作文に一回だけ、「タカラヅカのスター」と書いたことがある。とはいえヅカファンだったわけではない。大きな舞台で、大きい声出して(私はもったいないくらい声が大きい)、人前で演技するのが楽しそうに見えて仕方がなかったから。そんな立場で他人の人生を生きられるのはなんて楽しそうな、と思ったものだ。当時、京都で子どもがテレビで気軽に見られる劇場中継はタカラヅカ、吉本、そして松竹だった。そこは子ども、華やかさのない松竹新喜劇にはさすがに惹かれなかったが。(吉本は舞台というよりテレビって感じだった)。3年生ぐらいに成ると、児童劇団に入りたいと母に言ったこともある。でも母は「子役は大成しない」と、上手いこと言ってはぐらかしてくれた。でも「女優」に興味があるのではなく「舞台俳優」にのみ興味を示す私を、母がとても面白がったのを憶えている。しかし幸か不幸か劇場に足を運ぶ機会に恵まれなかったから、その熱は自然に鎮火したわけで。夢多き少女は「月刊宝島」を読みながらもあらゆる妄想と幻想に見回れ、その後も忙しい青春を送ったのでありました。


■昔話はいいとして、
まるで現役舞台俳優が語りそうな子ども時代の淡い憧れを持ち合わせていた私でも、演劇人に成るどころか熱心な演劇ファンにも成っていない。それはなぜか。だってやっぱり、つまらなさそうだからよ。こういうことを酒場なんかで言うと、「良いもんを見ていないからだ。一回劇場に足を運びなさい、認識が変わるから」って言われたりするのよ。しかし待ってください。なんで行かなあかんのすか! いくらビールをつがれながらそう言われても、食指が動かされないんだから初期衝動というものすら湧いてこないんだから仕方がない。
でもパフォーマンスを観るということは、食べる散歩するなどに並ぶほど生活から外せない行動のひとつであるくらい、私には不可欠なことです。ダンス観るのも好き、CD買うよりライブ観に行くのが好き、人が生でみせる表現に限りない期待と刺激を求めているのですから。
ちなみに、即興音楽はつまらない、みたいなことを言われたら、私も同じく「良いものを観てないのよ」って言うでしょう。しかしそれよりもなお力と気力を込めて、内橋和久を観る前に決めてかかるな、と言うでしょう。死ぬまでに大友良英のソロを観なくちゃ!と言うかもしれない。相手によってはインセクト・タブーを観たら気が変わるよ、と言うかもしれない。でもこれまで、「あなたが『S/N』を生で観ることができたら・・・」と言われたこと以外、具体例を持って責任ある推薦をしてくれた人はひとりとしていない。



■戯曲は読むのに舞台は見ない現実
それも熱心とは言えないけれど、おそらくこれまで見た芝居の数の10倍は戯曲を読んでるのではないだろうか。戯曲をよく読むんじゃなくって、それだけ芝居鑑賞経験が少ないんですけどね。
しかし日本人に限って言うと、そう言う人凄く多いのではないでしょうか。
戯曲なら読む、でもそれでも劇場に行かない、読書人にはある種普通のことでさえあるかもしれないけど、これは演劇人の皆さん、重要ですよ。
もちろん私がそうだから皆そうとは言いません。しかし、読書好き、ライブ好きの私において言えることがあります。
戯曲を読んで刺激され、喚起されるイマジネーションを、演劇が越えてくれると言う期待を持てないのです。
例えば、大好きな文学が映画化された時、誰もが必ず観に行くとは限りませんよね。期待できるかどうか、これに尽きると思うのです。私はチェーホフブレヒトの作品を劇場でまだ観たことはありません。でもちょっとだけ読んだことがある。そのきっかけは芝居の宣伝の引用文句だったかもしれない。でも引用は出典に思いを馳せるきっかけにしか成ってないわけですね。読んで、面白かったものもある。でも、だから「生身の表現で観てみよう」という発想は浮かばなかった。偉そうに言うと、私のイマジネーションを越えるチェーホフを見せてくれると期待できたことがないからです。なぜ、期待できないか。



■宣伝に帰着するというのは不本意か。
徳永さんも触れている通り、もっとも身近な宣伝媒体のフライヤーや最近なら宣伝メールで使う「言葉」は、こと演劇に関しては表現ツールと言うか、演劇に不可欠なひとつの要素な訳ですよね。だから、無粋な宣伝文句だと、本編に期待はできないもんです。当然です。ひとりよがりな紹介文を読んだら、本編に期待できません。ましてや無自覚に、げんなりさせる内向きの宣伝文句だけをたれ流している表現者集団に、誰が期待するのでしょう。内側の人、共通言語をもつ人、それのみじゃないですか。
しかも舞台は総合芸術であるはずなので、フライヤのデザインでも値踏みはされるわけです。すべては宣伝に帰着するというのは中野や下北沢の皆さんには不本意なことかもしれませんが、そうでは決してなくってさ、フライヤも表現の一端なんですよということです。お知らせメールだってそうなんです。ネットが発達すると、たまたま見つけた数行の記述で久しぶりにライブに行きたく成ったり、久々に誰かに会ってみたく成ったりすることもあるじゃないですか。人の衝動なんて、実はそれくらいフットワークいいんですから。すみませんが、こんなのを観て外側の潜在的未来の観客が期待すると思っているのだろうか?と、首を傾げたく成るようなフライヤが今日も分厚く喫茶店に山積みされています。


■日本語であると言う自覚
こんな私も、グリーナウェイは機会があったら観たいと思っている。日本に来たら、機会があれば観たいと思うカンパニーもちょっとはある。巻上公一演出のリチャード・フォアマンも面白かった。・・・というと、輸入モノ贔屓と言ってはいけない。それは思考停止であるから。(巻上フォアマンは日本語公演)
ただの“西洋かぶれ”とはちょっと違うんですよ。だって、芝居に関しては、言葉が理解できないのは取り払えない障壁であるのは確かなんですから。芝居を観ながら字幕を読むなんて私には興ざめ、忙しすぎるしね。イヤホンガイドも3分ももたなかった・・・。来日公演なら行くという人も、その国の言葉に堪能な人でなくても、できれば詳細をも理解したい、誰だってそう思っているに違いありません。ただ、言葉の詳細が解らないながらもそれでも楽しめるのは、表現と演技なんです。
おそらく、芝居、特に小劇場に足を運ばない私のような無精者に「小劇場」を想像させたら、たいてい似合わない厚化粧をして大袈裟な台詞まわしで大仰な芝居をする役者さんを思い浮かべるでしょう。もう、寒い。クーラー最強級。一気に氷河期。もしかしたら、そんなの実際にはいない、と言うのかなあ・・・でも芸術劇場やBSで時どき観てしまうのも、未だにそんなことやってますよ。生で観たら気にならない、というのかなあ、私はそんな寛容ではありません。もちろん、テレビ中継なんて鮮度落としまくりでしょうけど、それは劇場中継を放送するべきかって問題。
とにかく、放送される劇場中継の印象、いやそれ以前から確固としてある、そこはかとなく見ていて恥ずかしくなる「大きい演技」のイメージというのは、おばけみたいに蔓延してると思うのです。その拒絶感には、根深いものがあるはずです。
去年かな、小劇場じゃないけど国立で「マクベス」を観ました。まぁ触込みほど面白かったわけではないので、そんなに私の中で良い印象じゃないんですが、それでも役者の芝居は「大きい」ものの、決して寒くはかった。(エエイ無礼者め、言葉がわからなかったろうと言うな、マクベスくらいちゃんと読んでますわ。それに英語でしたわい!)
もしかしたら、舞台演技に求められる「大きい芝居」っていうのが、日本語と日本文化にあわないんじゃないんですか? いややっぱり処方の問題かなあ。それはわかりません。きっとそんなことは散々業界内で議論されているんでしょう。
でもおそらく、劇場に行かない人々のうち、かなりのマジョリティのイメージは「寒い」程度だということ。しかも今日も熱心に配られるフライヤから喚起されるイメージはいまだ、その「寒さ」を打ち消してはくれないこと。
日本人の多くはその寒さを笑い、そして日本語は寒さを際立たせる作用もあるということを自覚して欲しい。
「民衆の認識はまだまだそんなものなのか・・・(鬱)」と落ち込まないでください。
もしかしたらこれは、「一生懸命な人を笑う」という、すごおく嫌な、でもどうしようもない癖なのかもしれません。しかしもしそうだとしても、一生懸命な人を笑うような不謹慎な我々も、時として圧倒的なメッセージ、表現力、パフォーマンスによって黙らされることがあるのですから。

私ももう30過ぎた大人で、小銭なら自由になります。一般的に忙しいとは言えますが、それでもここぞと言う時は万障繰り合わせる底力も普通にあります。何よりも、まだ見ぬ視覚と聴覚、そして言語野も直接刺激してくれる「言葉のあるパフォーマンス」に期待しています。でも疑り深く、腰の重さも同時に持ち合わせているわけですが、こんな私を誘う作品をどうか作ってください。私を劇場に、呼んでください。



訂正:去年新国で観たのは『マクベス』じゃなくって『ハムレット』でしたね。あの、フェンシングのマスク被ってサックス持ってたヤツ。失礼しました〜。