ひと月帰省などして過ごし、一ヶ月後には海外引越する人の気持ち

今日の午後、日通さんがやってきて、ウィーンに送る荷物を預かって行った。見積もりで比べた結果、キャンペーン中の日通がグンと安くなったのだ。とはいえちょっとでも始末したい私たちだから、荷物を極力減らしまくった。結局、私の本と香音の絵本を詰めた小さい段ボールが12、衣類とキッチンまわりのものを詰めた大きな段ボールが13、適当に詰めたお米や日本食が小さな段ボールで一個、ポスターを数枚まとめたのがひとつ、大小合わせてたった25個口の引越し。積み込みにも10分もかからず、軽々とトラックに収められた荷物。郷ひろみが渋谷でゲリラライブでもやるような、大きな荷台の横っ腹がガバッと開く大掛かりなトラック。これまで9年の結婚生活中5回ほど引っ越ししたけど、こんな立派なトラックが来たことなんて無かった。でもそこに、パパパッと積み込まれた荷物はこじんまりとまとまって、ああ、私たちがウィーンではじめる生活はたったあれだけで始まるんだ、あれで全部かあ、と思うとなんかちょっと寂しい感じがした。ま、ケチったからのことなんだけど。


ヘルゲがウィーンで確保してくれている知人宅がせいぜい4週間。内橋さんが日本に戻るのが21日。さて20日間で新しく、本格的に住む家が見つけられるものか。運良く見つけられても即入居なんて可能だろうか。その間、いろいろ証明関係でスロバキアに行く必要があるとか、片付ける用事も山ほどあるはずだ。そして肝心のビザも、まだまだ暗中模索が続く。仮ビザでの滞在という、かなり精神衛生上よろしくない状態がどれだけ続くものか。
などなど、心配し出したらキリがない状態ではあるけれど、成功者は目的遂行のイメージを常に強く描くという法則を信じて、絶対大丈夫、と自分に言い聞かせる。そこが香音に我々にふさわしい場所であるならば、道は必ずそこにあるはず。いばらの道だって良いのだ。その道が続くなら。
意思や意欲だけではどうにもならないヴィザの心配などをしていると、おなじ移住のための苦闘だって大戦下のユダヤ人のそれと比べたら絶対ましなはずだ、なんてふと思い浮かぶ。決して下を見て安心するってのではなくって、彼等のことを考えたら泣き言は言えないということ。ふにゃふにゃしてないで、気をしっかりして気迫で乗り越えるのだ! あきらめるわけにはいかないんだから。



むーむ。ポーランドのマギーから「テンパッてるでしょ? これ見て笑いなさい」と送られたサイト。
有難い心遣いである。

イタリア人が苦労している。ご同情申し上げる。
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