明日で東京の3年間が終わる・・・という感じ。

 1995年に内橋さんと知り合って、その年の瀬にはじめてサシで会って、その日に「つきあうくらいだったら結婚でもしよう」ということになり(ロックンローラーみたいでしょ?)、翌年3月の香港マカオの旅に同行したいがためにうるさい親を黙らせようと入籍して(ガハハ)、子どもはしばらくいらんなあと思った頃の98年に香音が生まれ、3歳を前にして神戸市の福祉関係から香音にケチがついてブルーになり、アメリカにでも引っ越そうと思ったがかなり難しかったのであーあと思った頃にサム(ベネット)に「アメリカなんて保険制度も悪いし学校も荒れる一方(ボーリングフォーコロンバインの頃ね)、俺なら行かない、香音はこの数年がいちばん大事だ、そんなタイミングに難航する針路を選ぶことはない、それよりしばらく東京に来て、様子を見てはどうだ、そうだ、東京に来いよ」と言われ、薄々そんな気もしていたもんだから「そうだ、東京行こう」と、JR西日本のキャンペーンとは真逆の発想にたどり着き、さっさと荷物をまとめて引越してきたのが2002年。4月。それから3年。


住まいを町田にしたのは感じの良い無認可幼稚園を町田に見つけたから。ほんとは茅ヶ崎にもかなり魅力的な保育園と小さなスクールを見つけて、海のそばも良いなあとかなり惹かれていたけど、都内でライブをする内橋さんを思って相当の人から反対を受けたなあ(苦笑)。それから3年。


思えば内橋さんには激動の3年だった。わらわらと忙しくなって、ペースをうまく編み出せないで私たちも随分振り回されたし、やはり何より本人がざぶんざぶんと荒れる波路に翻弄されていた。音楽を仕事としている彼は、自分が音楽をやりたいからやるというモチベーションと、家族のために仕事をするんだというモチベーション、異質な、ある意味対極な二つの動機が同居しているもんだから、そのバランスはなかなか困難なこともあった。だいたい、身勝手な父ちゃんに振り回されるのにうんざりすると「もう、こんなこと続けるくらいならいっそ母子家庭にでもなった方がすっきりするわい!」という気持ちにさえなってくるのも、決して珍しくはないようだし私もそうだった。もちろん、今はそんなアマちゃんな、「忍法ワガママ返し」みたいなことは毛頭思っていませんが、私としては仕事(音楽)する時は思いっきりしてください、そして帰ってくる時は思いっきり家族モードで帰ってきてください、これをはっきりさせましょう、という目論見を持っている。もちろんヨーロッパでも演奏の機会はこれからもあるし、ウィーンに行っても彼は演奏するだろうし私たちもライブに行ったりツアーについてったりもするでしょう。が、まあ、もっとメリハリっとする訳ですね。そうして、私らなりの家族のあり方を模索して行くしかないんです、なんせノマドなんですから。
だからね、こころ清きリスナーの皆さん、ショック!とか思わないで下さいね。申し訳ないです。
内橋さんの生活の軋轢が若干整理されてスッキリ、音楽以外のことがシンプルになるからミュージシャンとしてはパワーアップするんだ!くらいに思って、見守ってください。さらに、敢えてお願いするなら、「ええッ、移住とか言いながらしょっちゅうおるやんけ」なんて冷たいこと言わず、ちょっと日本滞在が長そうな時はうまい定食屋でも誘ってやってください。なんせ、あの人は「駅前の仙人」。仙人級の人柄のクセに霞を喰うどころか吉牛で大満足な人ですから、仙人専任栄養士としては単身赴任時の食生活だけが心配。ほんとうに心配なんです・・・。


で、
香音の幼稚園の「園児のお別れ会」が明日、行われる。年中さんが先生と協力して質素なパーティを卒園する「青バッチさん」のためにご用意すると言う。私たちは香音の最終登園日にこの日を選んだ。形式張った卒園式、大人も子どもも涙涙の「儀式」や宴会場での豪華な謝恩会が日本の幼稚園の最後の思い出になることを避けたかったし、とりわけ三月には大阪BRIDGEで『Pool #2』があるからね。


そういう訳で、明日で最後の登園日。ここ数週間は引っ越しの準備に明け暮れ、ろくにベッドで寝られず(ホットカーペットの上で寝てしまってたんだけど)、そして明日も幼稚園が終わり次第ライブだ、荷物だ、日暮里の仕事場の片付けだ、大阪だ、警察だ(スピード違反)、ほんじゃらこんじゃらと忙しいわけで、あんまり「はああああ」って感じはないんだけど、それでも住まいも引き払い、幼稚園も終えるとなるとこの街とおさらばすると言う現実が迫ってくるもの。この街とのつながりが取りあえずはなくなるわけだしね。こうしてまた、ノマドな私たちは町田に生えたささやかな根さえもまたまたプチプチと千切って、次の土地へ向かうのだ。


結果、私は別に町田を特別好きにはならなかった。愛着は育たなかった。淡白なことに、憶えかけたあらゆる抜け道を、最近どんどん忘れていたりするのだ。薄情な記憶。と、自分で少々ゾッとしている。
でも、大好きになった人が少しできた。出会った数からするとその中の「少し」なんだけど、たった3年と思えばたくさんの出会いだ。自分のことを、そして香音のことを、この3年間のことを、どうか忘れないで欲しい、と思う人々が、これからもあの街で日々の営みを続け、悩み、よろこび、自転車を漕いでいくんだ。食べ物を買って大事な家族に食事を作り、かわいいガキどもはそれをモリモリと食べて、そしてみんな忙しく人生を続けて行く。確実に、少しずつ。
ってそう思うと、ちょっとだけこの街がいとおしく思えてくるからゲンキンなものだ。
みんな、頑張れ。私も頑張ります。あばよ、マチダ。みんなをよろしく。