大阪から名古屋、そして東京。

名古屋は2時間ほどしか滞在しなかった。これは何も、私が超多忙人であることを表しているのではなくって、私が名古屋に行くこともなかったのよきっと、ってこと。
名古屋では「徳川園」というところへ行ったのだけれど、京都人の私としてはなんとも不思議な日本庭園だった。
だってさ、徳川幕府の威力今なお健在!?って疑いたくなるくらい、そこはかとなく豪華、絢爛。
そこかしこに漂う“真新しさ”は無機質で、そこはかとなくモダンジャパネスク臭、バブリー。
京都で育つということは、京都以外の土地を愛すということに対しては不利なのか。
金沢を見て、そんな心配もかき消してみたいんだけど、そこでも違和感を感じたなら悲しいしなあ。
私の弟は気に入ったみたいだったんだけどなあ、金沢。


今日はもうすぐ千野さんちに伺う。そして私は一目散に地下スタジオに向かう訳だ。
地下スタジオに踏み入ったことは何度か有ったけど、心境は明らかに違う。
自分のこの心境の変化はかなり面白い。
口内炎が痛い。だからあんまりしゃべる気が起きない。人が話てる横で黙っているのがなんとも心地よい。
この心境の変化がなんともとても面白い。


そして明らかにわたくし、大阪物語をもの語るのを避けております訳です。
相当です。相当ホモセンチメンタリスな訳です。
きゅわ〜ん大阪好きやぬぇん、なんてこっちゃないんですが、今回の大阪物語エクソダス、ウィーン行きと言う自分の一大転換事業の根幹にずっっぷりシンクロしている訳で、それがなんともまだ恐ろしい、そういう訳です。
(ただ単にめまぐるしかったから目が回っちゃった、だからちょっと待って!ってことなのかもしれないけど。)

BRIDGE のみんなは本当に素敵で優しかった。
でもそれって、私が逝っちゃう人だから? え、私は逝っちゃうの? 
銀河鉄道999」で、切り離される最後尾の客車に乗った人を、鉄郎と車掌さんとが見送るシーンがあった気がする。鉄郎は泣きじゃくっていたっけ? それともただただ黙っていたのかな。宇宙の彼方へどんどん小さくなっていくその客車に、私は乗っているのだろうか。



UAの新譜が完成した。思わず引用したくなるような言葉やフレーズに溢れている。けどそれは避けるけれど。
可愛く輝いてる彼女はとてつもなくハッピーに見えるけれど、それでも真摯に苦悩し、格闘して自分の人生と音楽に挑戦し続けている。きのうはやっぱりゆっくり話せなかったけど、あの瞳に心配そうに覗き込まれると、もう少しこの戸惑いと格闘し続けようと静かに思った。