地元民に成るには道は遠い訳で。

本日はちょっと遅く起きつつ、幼稚園のために買い物へ。
「ここでは毎日必ず裏山の森に散歩します。雨が降ろうと風が強かろうと嵐であろうと必ず毎日、外へ出ます。ですのでレインコートと長靴はずっと幼稚園に置いておいて下さい。それから上履きもご用意ください」とのことだったので、C&A、そしてH&Mという、日本で言うならヨーカドーとジャスコ? ユニクロとギャップ? みたいなところを三人でハシゴ。なかなか納得のいい買い物ができました。とくに、H&Mで見つけたレインコートは可愛い。長靴は張り込んで最高品質を誇る子供靴のナチュリーノで買ってしまった。でも私は小さい頃足に会う長靴を履いた記憶がなく、長靴には痛い思いや不快な思いしかしてない気がするので、山歩きすらする雨の日につらい思いはさせたくないと決心。それでも、日本でちょっといい長靴を買うよりは半額ぐらいじゃないかと思います。
でもやっぱり、価格との相談、に関してはどうしてもビジターとしてのハンデに甘んじてしまう訳で。
オイロ、ユーロとの付き合いを常に円に換算せずして解せない間は、まだまだ我々はビジターです。もちろん、7ユーロ? うわ、高〜いッ ぐらいは我々素人にも言える訳ですが、なんというか、フレキシブルな金銭感覚、というのを獲得するにはまだまだ経験と理解を必要とする訳ですね。だってさ、部屋を借りるとき、5000円、10000円の違いで付帯する設備を換算することと、このお洋服が1000円あっちのアレより高い、という葛藤を考え合わせるのと、根本的には通じるけどある意味まったく違うメジャーを用いる訳ですよね。そう言うとき、円換算してると別のフィルターが入っちゃう訳です。だって、日本って電池が安かったりするでしょ? こっちでは電池って、すぐなくなるクセにやたら高いものだったりするそうで。経済学者の実用書でも読んだら解りやすく説明してくれると思うんですが、ただただイッパシの「生活者」に成るには、まだまだ精進が必要で、今しばらくは観光客に毛の生えた程度の身分に甘んじるしか・・・・ないようです。


投宿しているエリザベートの旦那、ベンハートがルクセンブルグから帰って来る。
母娘共に熱狂的に父の帰宅を迎える。彼はヘルゲの元同僚であり、内橋さんの演奏をかなり何度も観ているらしい。現在ルクセンブルグの劇場のテクニカルスタッフであり、現在その劇場の柿落しをひかえ、「日本人のように」朝夕もなく働く単身赴任である。実はイタリア人であるエリザベートの絶品イタリアン(なんとこの日はモッツァレラチーズブロッコリー、そして隠し味にアンチョビを加えたシェルパスタ!)をみんなで頂く。
エリザベートは疲れを隠せないタイプで、そういうところはとても女性的なんだけど、ベンハートはポジティブな意味で理知的なタイプ。合意を得る必要がある会話ではすこぶる話が早いし、いわゆる世間話でもこの辺の人にありがちな無用なまでの押しの強さとか頑固さが普段は影を潜めていて、話していて疲れさせない人である。そう、こっちの人は一様に「大人びた態度」を良しとして、それを当然のタシナミ、としている。がしかし、そのくせ、意固地なまでの頑固さを見せる時があって、そう言うとき、頑固に振る舞えないタチの人はハイハイって聞き流したりするわけだけど、そういう意固地な態度って実はとってもガキっぽい態度な訳ですよね。真の意味では「ハイハイ」って折れられることが大人だったりするはず。まぁそれで不利益を被る様ではダメなんですが。そう言う意味では、普段めちゃコスモポリタンな男、ヘルゲなんかはとっても「大人っぽい」んだけど、時として意固地さで子ども地味た態度を見せる。ある意味それってバランスがとれていて、おしなべて世界は一家人類は兄弟、じゃなくって、ホントはみんな、大して熟してもいないしアオくもない、みんなホントは似たり寄ったり・・・・ってことなのかもしれませんね。

かつて言語学を研究した経験もあるベンハートはいろんな話を楽しむものの、頑固な欧州人的に押し付けがましいことがなく一元的な断定をしない。そこはいつも話していてラクで、質問にも片意地張らず答えることができる。重要なことでは適便に明確な返事を得ることもできる。そんな彼と疲れをも隠せない、ヤワささえ正直なエリザベート、このふたりはとても良い組み合わせだと思う。そしてその愛の結実たるアダちゃんは、もうほんとにチャーミングでおしゃまちゃんなんだけど、そうかこのご両親ゆえのチャームですかと納得の夜であった。