武者震いと狐の嫁入り

日々はとても静かに流れている。
欧州ツアー中の渋さ知らズに参加しつつ、合間を縫って帰ってきた内橋さんはまたきのうからドイツへ。月曜には戻ってくるけど、この土日は香音とふたり、同居人も留守なので静かな時間。

先日、希望するウィーンでいちばん古いシュタイナーシューレの校医さんに会いに行った。
エッケさんが通訳に来てくれ、また以前見学した付属幼稚園の先生おふたりも同席してくれた。校医さんも女性で、小さな部屋で内橋家三人と大人4人、それでも和やかなミーティング。
好意的に香音を囲んで頂いた上で、ウィーン市内にあるいくつかのヴァルドルフ学校の現状をザザッと聞き、私たちが検討内容を持ち帰って熟慮する、ということになった。
あらゆることを、決して押し付けることなく、香音にとってこの学校ののこの条件はどうか、こっちだとどうか、と提示してくれる。それが体裁上の配慮だとしても、香音にとってより良い方向性を探れば良い、ということなので、親として余計なプレッシャーを感じずに済む。有難いことです。
とはいえ、考えなくてはいけないのは親で、決断しなくてはいけないのも親。こんな役回り、重すぎるって・・・。


今から考えていかなくっちゃいけないのは、彼女の10年以上も先を見据えて計画しなくちゃいけない。ヴァルドルフの学校は12年生まであるからだ。しかも、一年後に延ばした就学を見据えて、この一年の幼稚園生活をどこで過ごさせるか、ということも含み置いて考えなくてはいけないし、今ある選択肢は各校かなり違っている。
・・・とはいえ、一年後香音がどう育っているか本当にわからないし、でも決めなくっちゃいけないこともあるし、ほんとに難しい。
それでも、日本で彼女の何かを決める時の様な、落ち込みながら決断するあのなんとも暗い気分がない分、とても精神衛生上助かっているのですが、しかし我が子とは言え人の人生がどーんとのしかかっている重圧感はあります。はてさて・・・。



不思議な感覚。「武者震い」と言う日本語がありますが、たぶん、合戦直前、凄まじい集中力と緊張感、興奮から武者の皆さんがぶるっと震えられたんでしょう。怯えて震えるんじゃなく、荒ぶる魂のふるえ。
・・・ってワケじゃないけど、とてつもなく重要なこと、しかも自分の気分次第で後々「まぁええようになるわ」と開き直る訳にもいかない、難しい決断をまたしなくちゃいけない、そしてこれからもずっとずっと・・・と思うと、何とも言えない気分になった。これまで以上に、重い決断をひとりで背負うことになる、ああずっと・・・と思うと、何とも言えない気分、これがほんとうの途方に暮れる、だろうなあ。
言うまでもなく内橋さんが居る訳ですが、彼は子育てに関してはほぼ完全な「私の意見の支持者」になってしまう。私が彼より時間があって、こだわりがあって、自分なりに調べたり検討したりするもんだから、厚き信頼をもとに「ええよ、それがええんちゃうかなぁ」と丸ごと支持してしまう。無責任じゃないんだけどね。人前ですので、「包容力があるのです」と言っておきましょう。でも実際そう。
そんな、包容力のあるお父さんなので、お母さんは決断力を発揮しなくってはなりません。包容力に基づいて包容し続けることもとてつもない責任であると同様、決断力の維持行使もかなりの精神的重労働。何となく、ウィーンへ来てから「道は必ず開ける、あとは野と成れ山と成れ」と思っていたところなので、ああまた重い決断を下さねば成らんのかと途方に暮れて、ちょっとだけ自分の人生をうらめしく思ったりしてもみた。
そうすると、不思議なもんで、悲しい訳でもないのにはらはらと昼間っから眼から汁が出てきより、洋服の前にぽたぽたぽたぽた。決して悲しい訳じゃないから、どんなに汁が垂れようと、嗚咽にも成らなければ顔つきも変わらない。そこでふと、武者震い? なんて想起してみたりもしたのだけれど。 へぇ、人間こんな泣き方もするもんかと、「ぷっ」とか笑いながら、ウィーンに来て何度かあった晴天からさあっと雨粒をふり蒔くような俄雨、「狐の嫁入り」みたいだなぁなんて、関心して。
絵本から顔を上げた香音はやけにさわやかに、心配もせず…あれ?、という顔で笑っていた。ママのお顔に狐の嫁入り