色々あって、ハウスの動く城。

 なんか色々あった。大したことないこともあった 大したこともあった ヤなことも、いいことも、情けないことも、ワケワカランことも。

で、気がついたらウィーンは秋模様で、めちゃ寒になる前にお散歩やらお出掛けしないとね、と気を取り直していた。読みかけのサワラギ先生の物騒なタイトルのあの本は結構面白く、のりのりで読んでいたんだけど、この数日のアレコレと虚脱のおかげで止まってしまった。せっかくの読書風が吹いていたのに、のにのに。
で、幼稚園への送り迎えの地下鉄がひょいっと地上に出るたび、またいろいろ、考えごと・・・。


この一、二年、ちょっとしたことで気持ちが高ぶったり、すごく泣きやすかったり(それはすぐ悲しくなる、と言うのでは決してなくって、スイッチオン!ボロボロボロ…というだけのこと)、共感したりした気になったり、なんだかおセンチで多感で厄介だと思っていたのだが、ふと思い出した。
たぶんこれ、一昨年の夏、栃木のシュタイナー学校に、子どものための芸術療法(アートセラピー)のワークショップに参加して以来じゃないだろうか。
セラピスト(もしくはそのタマゴ)の為のワークショップなのであったが、さすがはシュタイナーであって、そのトレーニングはまず「共感すること、その努力」の訓練なのである。しかし感情移入してしまってはいけない、そうではなく患児のこころにそっと寄り添うのだ、云々。細かい言辞はメモを探さないとうまく再現できないけど、でもそのトレーニングはとても興味深かった。とあるセラピーの内容をじっくり聞いて、その患児の描いた絵を忠実に模写したり(これは苦しかった)、グリムかなんかの物語の中の悲しい描写を4場面(不安、一緒にいるのにいないと感じる寂しさ、別離/喪失、再生)だったかを、一場に一枚、濡らし絵でじっくり感情を込めて描くとか。胸のつぶれるような気持ちや、震えるような思いに何度もなった。一週間ほどの日程で、そういうことをじ〜っくりやって、終わる頃には人の感情の揺れ、と言うのにすごく敏感になっていた気がする。
まぁ人様に対してというのは生臭なわたしなので、そこそこいい加減に忘れちゃったような気もするけど、しかし何がしかのストーリーへのシンパサイズと言うか、共感、共鳴みたいなものはあれ以来、厄介なほどビビッドになってしまった。様な気がする。
あのワークショップ自体がどうとか、その有効性とかは別にして、とある訓練により多感というか過感になってしまった、と言う結果が残っているのです。
(念のため言うと、有効性に疑問を呈してるのではなく。(むしろ逆です)ただそこを突っ込まれてもシラン、ということ)


そんなことに気づいたので、持て余してた暴れる感情(まさにそう)と、改めて気長に付き合うことを軽く決心。
そういうこと考えてると、電車に揺られる時間があっという間です。


で、そんな、暴れる感情に首輪とリードを付けて連れ立って、香音ちゃんサービスに行ってきました、『ハウスの動く城』。わざとです。キーワードで人が来てもな・・・と思ってね。しかも冒頭、いちばん最初に出てきた日本語が「特別提供・ハウス食品」やからね。あれは考えモンよ、ヒドいよ。
日本語上映が今日までなので慌てて行ったのに、劇場はガラガラでした。総勢10名もいないであろう、ガラガラ。子どもは香音のみ。日本人はほかにおっちゃん(兄ちゃん?)ふたり。そのふたりと一緒だったのは、やけに日本語がうまい現地人だった。
まぁ映画自身のことは今さらええと思うのですが、香音ちゃんね。
おっかしかったですよー。
もう、主人公の女の子(声は倍賞千恵子ね)にめちゃくちゃ感情移入して、倍賞が笑うと笑う、千恵子が泣いたら一緒に泣く。シンクロしまくり。凄いなあと思いました。なんや、恋愛でもしてるの?この子。って感じです。母はひたすら、慌てて小声で慰めるしかなくって。
で、それでも泣く、笑う意外は大人しく熱中する香音なのですが、うっとしいことに通路を挟んだ斜め前の爺婆カップルが、いちいち振り向いて咳払い。ちょっと待ってよ、これ、一応子どものための映画でしょ? 大人も楽しめる、子どもと一緒に大人にも観て考えて欲しい映画、とかじゃないの? 世界のハヤオはそういう男気のあるロリコン(失礼)なんじゃなかったっけ?? 処構わず泣く騒ぐガキならまだしも、大喜びしたり、ストーリーにのりまくってる6歳児よ。念のため言うと、香音の「泣き」は「ギャーッ」とかじゃもちろんなく、「ふえ〜ん」と、さめざめと、泣くのですよ。それもせいぜい数秒です。笑う時も時折手を叩いていますが、あの手とあの運動神経です、知れてます。
なんかもう、ゲージュツ映画観てる気にでもなってるのかしらね。こういうアートばばあ(一楽さん命名)みたいな老人、世界中にいるのね。ダイッ嫌い。


そして多感な30過ぎの私はと言うと、あの異形の獣と化したハウルにふと『弥次喜多inDEEP』を想起して、徹底的に醜く描かれてないところにちょっとガッカリ。あそこはもうちょっと、やらなあかんかったんちゃうかいな、ジブリよ。やっぱり愛する者の異形化すら受容するグレイスな愛を描きたいなら、とことんやってくれないかんぜよ、ハヤオさん。その点ではかなりはっちゃけてたけどinDEEPは孤高の出来映えでしたな。しりあがりに一票!
自分が愛する者が、万人に正善とされるか否かは問題ではない というのは、今のわたしにはグッと来るのですが。

しかし今回唯一、もしくは最も気に入ったのはお城が動く、歩くフォーム。アナログっぽいと言うか、ちょっとクレイアニメみたいでした。見とれちゃった。

で、多感なおばはん予備軍の私はと言うと、ときどきグッと、ウッときてしまうのだけど、だいたいそのたんびに久石がピント外れの合奏を仕切ってくれるから、さわさわっと眼球ごと乾いて泣くを免れる。ありがとう、譲、あなたのお陰で泣かずにすんだ。ご苦労であった。

あと、観た映画の悪口を不特定多数の前で言うのは嫌いなんだけどゴメン、ハウルがもっと美しかったらなと思いました。声優に問題アリとはもちろんのこと、こういう王子さんはある程度うっとりさせてくれる浮世離れの美しさがないとイカンではないか。千と千尋のハクの方が、ちったあ美しかったよな。
で、トドメですが、千恵子が唄う、あの主題歌はヒドい。酷すぎる。ええっ!!って声出してしまった。
あれはないです。最悪です。あかんて、あんなん! 詞が俊太郎先生でもそれでも駄目、駄目駄目駄目。
なんで誰もが認める功労者、美輪明宏に唄わせへんのじゃ。

気づけよ、ハヤオ、ユズル!!!