きのう

きのうはお誕生会をかけ持ちしただけじゃなく、香音が幼稚園に行ってる間に小学校へ行って校医さんとミーティングをしていた。お父ちゃんはまた日本に出稼ぎに行ったし、慌ただしい一日であった。

ここは我々の住所でもある大通り沿いの、徒歩10分くらいのところにある小学校。
うちの借り主の娘、アダちゃんもかつて通ったシューレである。
ここの校医さんとお会いするのは通算3度目なので、緊張はしないものの、今回来たのは昨日、区の偉い人(…肩書きがわからない)に呼び出され、こう言われたからだ。
「カノンはもう就学年齢です。すぐにシューレ(小学校)に行かないにしても、フォアシューレに2月から行って下さい」

フォアシューレって、国によってプリスクールとかゼロ年生とか言う感じの、一年生として入る前に下ごしらえをしようと言う予備校みたいなもの。いきなり一年生に成る前に、幼稚園でもない、小学校でもないところで、文字や数字を気軽に学ばせようと言うもの。
この指示には正直面食らったけれど、現在の香音をみていると、小学校に入って一斉に勉強がはじまることもやはり心配だし、しかし一方では「これはなんてかいてある?」と聞いたり指を折ってでたらめに数えていたり、「おべんきょうするー」とか言ったり(言うだけだけど)、興味が出てきているとも言える。
頼みのシュタイナー学校はどこもクラスが30人以上のサイズで、それを知るとどう考えても香音には多すぎるし、今の幼稚園があるシュタイナーシューレはクラスの人数が少ないのだけど、それはまだまだ新設校なので“本来あるべき状態ではない”のである。つまり、ルドルフ・シュタイナーの提唱した「自由学校」は、クラス定員は30数名いるべきなのだそうだ。
で、新設校のこの学校は、新しい故にキレイだったりイイこともあるけど、新しい学校特有の心配もあって、さて香音への手厚いサポートをのぞめるかと言うとちょっと心配。結構心配。我が子がもっと(私の幼少時のように)雑草系でタフであれば、新設校に親子で入って“日々格闘”もドンと来い!だけど、いまの香音をみているとその勇気はちょっとわかない。一方、マウアーにあるウィーンの老舗シュタイナーシューレは「幼稚園を終える頃に大勢のクラスに耐えうる様子でなければ、障害児専門のシュタイナーシューレがあります」と紹介してくれて、そこはとっても素晴らしい学校だったけど、低学年はひとクラスの人数が10人弱でちょっと・・・少なすぎる!(苦笑)
あれやこれやと思い悩んでいるところへ、当家のエリザベツ推薦で訪れたのがこの学校。
そしてその時のコンタクトを経て今日の面談へと至った。
このシューレには普通に4学年ごと2クラスあるけども、そのほかに2クラス、縦割りの統合クラスがある。
アダが通っていたのもそのクラスで、希望者に門は開かれている。市内にはこういう、各年齢の子たちがいる学級(縦割り)で、モンンテッソーリメソッドを取り入れたクラスがいくつもあるそうで、それらはすべてインテグレーション(統合学級)なのであるそうな。今ドイツ語を教えてもらっているルディアにも勧められていた、結構評判の良いシステムである。で、区内にいくつかこの形式のクラスを持つ学校もあり、それぞれにもスタッフのプロジェクトがあったりするので、フォアシューレに夏まで通い、その間にいちばん良い学校を決めようではないか、というのが、今住む区の専門家からのオファーであった。ということである。

「急にそんなこと言われても、ショックだったでしょう?」とフラウ・バウアーはふくよかに微笑んだ。
ええ確かに。しかも今行ってる郊外の幼稚園には香音は、お友達も増えはじめすっかり愛着を持ってるし、文字や数字をメルヒェンたっぷりに学ぶシュタイナー教育にももちろん、未練たっぷり。どっぷりがっぷり。
ただ、天下のシュタイナーであろうと、香音を重要視して、最善を尽くしてくれる信頼がおけなければ、ここまで来た甲斐もない。不安なまま今の幼稚園〜シューレに居続けるのも危険なかほりが立ちこめている。むむむ。
そんな中、である。少なくとも、区の担当者及びフラウ・バウアーなどは、今のところ話も早いし、たいへん的確だし、今のところ、思いが通じてる感触もある。また、区内でも統合クラス、縦割りクラスと希望した上で、さらに学校の選択肢がまだあると言う。ここはひとつ、賭けてみるかと言う気にもなってくる。
そもそも、徒歩圏の学校で、「地元」の中で育つ、ということは、子どもにとって理想的だと言う考えも持っていたし。

というわけで。
来週から週に2回だけ、フォアシューレに行ってみることにした。
火曜と、あと一日。公立校に進むとしても、移行を徐々にさせてほしい、という要望が全面的に受け入れられたからだ。受け入れられた、というより、「移行を徐々にしたい」という考えに賛同された、と言う感じ。「それがカノンにとってベストなら当然だ。そうだ、ベストだ」というように。統合クラスで縦割りがいい、と言うと、それは良いアイデアです、と言われたこともある。ほかにも、「基本は午前だけで、幼児のうちは昼食は自宅で」と言われた時も、「うちはかなりの日数が母子ふたりだけなので、昼食を園や学校で友達と頂くのは彼女にとって重要で、好ましいのだ」と説明すると、「なるほど。彼女の場合はそうするべきなのですね」と聞き入れてくれる。見学したフォアシューレのクラスでも、若いスタッフたちが私の希望を聞き、そのオーダーに答えると言う感じで、待遇のまっとうさにかなり肩の荷がおりた。・・・日本では、どうしても少数者の待遇については、プロセスにおいて交渉や説得や主張を繰り返して「獲得する」と言う感が拭えない。それはとても消耗するし、しかもほとんどすべて、何割かは妥協しなくちゃいけないから、ストレスが残る。いつも「これでいいんだろうか」という不安が残る・・・。
 しかし法と手厚い待遇が満足に用意された社会では、「彼女にとって最善を」というのが絵に描いた餅ではなく目標/目的となるのだ。最善を希求すると言う、普通の権利が保障される、サポートされる社会。

 このミーティングには香音を連れて行かなかった。フラウ・バウアーもフォアシューレのスタッフも「カノンに今日は会えなくって、とても残念」と言った。慌てて、「区のディレクターに、今日は連れて行かなくていいと言われたのです」と言うと、「ええ、それで勿論いいんですよ。ただ、可愛い新しいお嬢ちゃんに会いたかったんですよ。みんなも愉しみにしてますから、今日は顔を見れなくって残念だわってことですよ」と言った。フラウ・バウアーなどは別れ際「カノンによろしくね、私の愛を届けといてね」と言う。(日本語で書くと大袈裟ですがなw)
ほっとして、お腹がすいて、うちまで気分よく歩いた。
少なくとも、今のところ不安材料なくスタートできる。まずしばらくは、本人が不安なく新しい世界へ踏み込めるように、励ましてサポートするのみか。本人が陰りなくその魅力をふりまいていけば、おのずと行くべき先が照らし出されるはずである。香音はそうやって、今のところは歩んできた。いつだって、結局は香音が道をひらいてきたのだ。たぶん。


しかしながら、今の幼稚園を去るとなると、残念がってくれる人もある。今しばらく、友情の育ち方をみていたい関係もあったりする。うーむ、学年が終わる6月まで、週に一回ぐらいは今の幼稚園に行かせてもらえんだろうか。ついでに願うと、高い園費も割り引きで(大苦笑)。交渉してみようかな・・・。やっぱり値切り事は、大阪出身のオットーちゃんか。と言うワケで、オットーちゃん、4649!