イースター休暇の記録(10日間分!)

ハンス宅。後ろに並ぶはDaxofon スティ

 ドイツ語ではOster Ferien とか言うようで、イースター、復活祭の休暇。去年、その直後に欧州上陸した我々は、今年はじめての復活祭。引越するまでにも、航空券の安くなる2〜3月にこちらに来るたび、街のディスプレイや文具屋の品揃えがやたらオレンジと緑、コモノがアヒルとウサギだらけになるので何となくその「気配」を感じていたものだけど、今年は数週間前からやたら復活祭色にじわじわ染まってゆくのを体感。ようやくそのムードというのに慣れた気がした。
長い冬が終わる。日本だと、小春日和とか春一番とか、もしくは雪割草とか土筆とか。冬が立ち去るその前の生活の隙間に、ちょこっと顔を出す春の気配を探すようにして、春を待つ。ほんとうに些末な季節のかけらを拾い集めて「ほら、春がもうそこまで来てますよ、来てますよ」と唱えながら待ちわびる。やがて、そんなに敏感な人でなくともどうやら春が来たらしいことを、夜の風の匂いや桜のほころび加減で実感する。季節はじわじわとやってくるという文化。
 ーオーストリアには四季はない。冬と夏と、その変わり目。
この一年で何度か耳にしたけど、この春はホントにそう言う感じがした。
何度かフェーン現象などで暖かい日が訪れたけど、しつこく寒い日が続き、なごみ、また冷え込み…これを何度も繰り返して、そして休暇に入った途端サーッと幕を引くように、雲が晴れたら春でした、というように、一斉に暖かくなった。上着を羽織ったり持ち歩いてないと、ひょっこり寒さが顔を出してあっかんべーするみたいに冷えるのだけど、時折初夏を思い出させるような陽射しが眩しく街に差し込むことさえある。こうして、冷えそうで冷えない寒さと暖かさの間を繰り返して、そして時どき気まぐれに冷え込んで、気がついたら夏なのだ、と相成る模様。

 7日金曜日。さて明日からお休み!ということで、フォアシューレのお友達の母が、何人かの子どもたちを連れて近くの映画館に「大泥棒 ホッテンプロッツ」を観に行くと言う。便乗。子ども7人で並んで観る映画は香音も大興奮で、世話役のお母さんが配ってくれたポップコーンやドーナツを頬張り、幸せな時間を過ごした。
 8日土曜日。復活祭の休暇に合わせて内橋さんが帰ってきて、香音は上機嫌に、わたしももちろん上機嫌に(苦笑)。
日曜にこちらのお友達を誘い、届いたばかりの日本食をふるまう。京都七味家本舗の山椒やら七味に、ビリーとブルクハルトは舌鼓をうち、「これからイタリアンの宴会なのに!」と言いつつシルヴィアも箸がすすむ。yuka さんと香音は藁入り納豆をわしゃわしゃとたいらげ、内橋さんは時差ぼけの頭で酒がすすむ。

 10日の月曜から金曜までブッパタールに。恩人にして盟友、ハンス・ライヒェルを訪ねる。
両親と行く近場の旅で、香音はルンルン。とはいえ、微妙に聞き分けが悪くなったりして叱られている彼女だったが、二日目あたりから快速にはしゃぐ。三日目には「もっとハンスさんとココにいる!」と言いだす。そう言えば、赤ちゃんの頃から時どき旅に連れ出していたけど、たいてい初日と翌日くらいは熱を出したりしていた。その名残りのように、旅のはじまりは緊張とか不調がまだまだあるんだろう。忘れていたけど、ふと思い出せた。
完全夜型人間のハンスは、わたしたちが滞在していても昼過ぎに起きだし、夜は必ず近くのバーに飲みに行く。
便乗したいのは山々だけど、香音を寝かせてほっくりしたら、どうも疲れて出かける気にはなれなかった。しかし3日目4日目は内橋さんが同行。それでも、深夜1時頃、お先に失礼して帰ってきた内橋さんに構わず、ハンスは明け方ご機嫌に帰ってきたりする。
そんな時、わたしたちは午前中にさっさと出かけて動物園に行ったり、ゴロゴロと過ごしたりしていたんだけど、広いと言えども同じアパート、わたしたちはハンスに遠慮して物音立てず静かにしていた。ある日、こっそり起きだして勝手にキッチンでブランチの用意をはじめてると、やがてハンスも起きてきた。すっきり笑顔で「おはよう!」と声をかけバスルームに彼が去ると、テーブルで絵本を見ていた香音がヒソヒソ声で(もう、こえだしてもいーい?)と訊く。しっかり朝一番に目覚めても、ベッドの中でパパに遊んでもらいつつ、彼女なりにヒソヒソ声で話したりして、気をつかっていたのだった。

ハンスは、ちょっとしか気をつかわない。でも、いつもちょっとだけ気をつかう。
自分がもっと若い頃は、彼独特のひととの距離の取り方が難しかった。でも今回は、彼に倣って、ちょっとだけ、に徹した。彼が料理をしてくれる、と言う時は、わたしはソファで本を読んでいた。私が料理をする時は、勝手にどんどんやっちゃった。しかし内橋さんはと言うと、どっちが料理をする時もあたふたと手伝わされていたのだけれど(苦笑)。
香音と約束していた、待望のランドセルを買いに行った。親戚諸兄姉、ちゃんと購入しましたよ。
オーストリアはドイツ製品が多いし、ドイツの方がいろいろ選択肢があるかなと期待して行ったのだけど、予定していた最終日のデュッセルドルフゆきは気がついたら祝日だったので慌ててブッパタールの中心へ。日本にも入ってる、“昔のドイツの革のランドセル”みたいなものは、今や使ってる人どころかお店でもなかなか見かけない。現行型のランドセルは大きくって、そして驚くようなキャラクター全盛。新担任の先生達は、A4が入るリュックでいいですよ、と言っていたのでそのつもりで探してみる。さすがにウィーンよりちょっとだけ物価が安く、特に小振りなリュックは1000円くらいで結構ある。気を楽にして何軒かまわって、デパートのカバン売場に行くと、さらなる品揃え。ウィーンより小さな街だけど、品揃えはブッパタールの方がちょっとだけ充実して感じた。
結局、割としっかりした作りのリュックを見つける。内橋、ハンス、わたしの三人がやたら気に入り、そして香音もとても気に入ってくれた。背負うとお尻が見えなくなってしまうし、ちょっと大きいのだけど、何せ作りがしっかりしてるので長持ちしそうだ。えーと、背負うところ、ベルトじゃなくってサスペンダー? がちゃんと子ども用にカーブしていて小さな肩にしっくりとおさまる様に工夫されている。ポケットやチャックのレイアウトも、シンプルで使いやすそうだ。でも何よりの“大人三人の”お気に入りはデザイン(笑)。茶色地を埋め尽くす様にオレンジでペイントされていて、☆や?やエンブレム、それとsweet, Dream, LOVE などの英単語がびっちり描かれている。そのど真ん中は「Rock'n Roll!」で、大人はそれが気に入ってしまった。いつかお写真upします(使えないウェブマスターでスンマセン)。

 14日金曜、帰路のデュッセルドルフで中華料理店に行ったら、日本語を話す定員がひとりいた。それが、どういう覚え方をしたのか、徹底的に“タメグチ”である。「あるよ。おっきいのと小ちゃいのできるけど、どうする?」「お勘定? ○○ユーロ。はい。じゃねッどうも。さいなら」いったいどういう方法で学習したのだろう…。背後に日本人カップル。音楽関係の人らしく、そういう話。「日本人はさ…」「だいたい日本人は…だけど」云々。得てしてそう言う話題をする人は、そばにいる我々が日本人と気づくと、露骨にイヤな顔をする。どうやらご迷惑な模様。申し訳ないことです。ご自身もその日本人であることを、思い出させてしまったようで。

空港でデュッセルドルフ在住の未来ちゃんと再会。
搭乗までの時間、空港でお茶を飲んで。先々月ウィーンで知り合った彼女は5月にまたウィーンに来るので、すぐ会えるね、その時はゆっくりね、と別れる。慌ただしい再会だったけれど、でもちょっとの隙き間をピンポイントで捕まえて会えるというのは、やはり嬉しかった。

金曜に帰って、そのまま土曜はおうちでゴロゴロ。
しっかり朝市で食糧を買い込み、土日をのんびりする用意。快晴の土曜であったのに、ろくに散歩もせず過ごす。
もったいなかったので日曜、約束していた幼稚園のお友達とのピクニックをあいにくの雨模様でも強行する。
バスケットにパンやら果物やらおやつを用意して、Null さん夫妻が贈ってくれた「さくら焙じ茶」をポットに入れて。誰の日頃が評価されたのか、トラムでPrater に着いた頃には雨が上がり、ミニSLに乗って森に着いた頃には晴れ間すら覗きはじめた。お友達のナーディアと香音は、キャッキャと走り回る。ナーディアの母のモニカはニコニコと私たちのドイツ語につき合ってくれる。私と内橋さんは寝坊したツケで腹ぺこで、やたらめたら食べていた。
のんびりゆっくり森を抜け、遊具のある広々とした区域に着いてまたひと遊びし、歩いてうちへ戻る。駅でナーディアたちと別れ、帰ったら夕食の準備。ヘルゲとマルティナが来る。結構なスピードでワインを開けて、たっぷりおしゃべりをして、夜更けにふたりは自転車で帰って行った。

17日、月曜日。土曜に買い込んだ食材でブランチをたいらげる。適当にソーセージと野菜を煮込んで。
そのあと、「森かボートか?」の問いに「ボートとおふね!」と答える香音に従い、三人で出かける。シュヴィデンプラッツまでぶらぶらと歩き、そこから10分ほど地下鉄でアルテ・ドナウへ。旧ドナウ、治水工事を経て運河と新ドナウと切り離された旧ドナウは、ちょっとした湖となって人々の憩いの地となっている。冬は凍りついて広いアイススケートリンクとなり、それ以外は湖畔につらなるボート小屋とレストラン、そしてボートハウスなどのセカンドハウスが並んでいる。以前、湖の外れにある、公団別荘区みたいなところに連れてってもらった時、左翼政権全盛の頃、このあたりにガーデンハウスと呼ばれる庭付きの小作りな家屋が量産され奨励された、という話を聞いた。安価で人々は、庭付きの小屋を「セカンドハウスとして」所有できたのだ。結局、その政策はすたれてしまったらしいけど、今でもそんな「用意されたレジャー」を湖畔で楽しむ人はもちろんいるし、形を変えてボートハウスなどもおそらく大衆向けのリーズナブルな物件として供給されているようだ。アルテ・ドナウのあたりはそういった庶民的な雰囲気で、居心地よく気楽に散歩できる。
「ボートとおふね!」と張り切った香音ちゃんの夢は無惨に打ち砕かれ、貸しボート屋さんはまだ開業してないようだった。復活祭の休暇、ウィーンは人が減るからかな…とか言いつつ、娘をなだめてレストランへ。
たまたま入ったガーデンレストランは、湖を眺めつつ炭焼き肉を楽しめるなかなかイイ感じの店だった。様々なタイプの色男が立ち働いているのも感じいい(笑)。内橋さんはビール、わたしは白ワイン、香音はリンゴジュースでスプリッツァを作ってもらい、それが気に入ったようで喜んでいる。何かつまもうぜ、と頼んだ炭焼きのBBQとかスペアリブがとても美味く、菜食主義でなくて良かったと胸を撫で下ろした。もちろん、サラダも美味かったが。ふたり気分よく飲んで食って7000円ほどだったので、贅沢したけど高くなかったんじゃないか、と満足して店を出た。夕暮れ時だったけどすでに8時前、日が長くなったものだ。やはり10分ほど地下鉄に乗りこんどはステファンプラッツに出て、またのんびり歩いて帰る。家に着くまでに暗くならなかったら、うちの前のカフェで一杯やろう、と歩き、疲れはじめた香音にも「早く帰れたらおうちの前の珈琲屋さんでアイス!」と釣って帰る。
あいにく我らが隣人カフェはまだアイスを用意しておらず、冷製ココアで誤摩化すも、三人のんびり、春休み最後の日を日の入りまでゆっくり過ごした。
翌日18日の火曜、お父さんは日本へ出稼ぎに。そのまた翌日、フォアシューレの日々がはじまった。