親の夜 〜保護者会(初)

 二日目の朝は更にドキドキであったが、どうにか香音はご機嫌に登校。眠れぬ夜にしたためたラブレターはすぐ読んで下さり、教えてくれてありがとう! でもこれはほんとによくあることですよ。気にしないで下さいね。とは言えショックだったでしょう、わかりますよ。何ごともゆっくりでいいんです、気にしないで。ゆっくりゆっくり、見てあげましょうね。と、いつもの満面の笑みで吹き飛ばしてくれた。この日は学校内の設備やクラスの備品などのオリエンテーションの日。帰宅した香音は「キョウリュウがいたよ。くろいおおきいのと、ちいさいのとベイビー。アレクサンダーくんがあそんでいたよ」と言う。一体何があったのだろうかと思いつつ、取り敢えず先生も「今日は一日、ハッピーでしたよ」と笑顔で送り出してくれた。
一瞬だけ、早くも不登校との戦いかよ、と驚愕して眠れなかったので、この日の午後の私は使い物にならなかった。夜には“親の夜”というタイトルの、いわばクラス保護者会があるので昼寝をしてリカバー。
午後6時。親の会。
もちろんクラス全員の親が勢揃い。先生も、担任の二人に加えて非常勤の先生も来ている。彼女は毎日数時間と金曜日全日いらっしゃるので、子ども達にとっても欠かせぬ大好きな先生らしい。3人とも仲の良いおばちゃん達である。親の大半は6月にあったクラスピクニックで会っているが、今夜の4分の1くらいがお父さんだったのは新鮮だった。子どもを連れて来たお母さんも数人いて、教室の奥の小部屋(小さなキッチンとテーブルが窓辺にあり、小さな階段の上にはクッションが並んだ蔵書コーナーがある)で遊びながら待っていた。最初は大人しく遊んでいたけど、だんだん騒々しくなって何度も注意されていたのが可笑しかった。先生だけじゃなく、ドアに近いところにいた親が注意したりしてたけど、怒られた子の親があっけらかんとしてるのにホッとした。
親の会は7時半頃まであって、次から次へと書類が配られた。同じテーブルを囲んでいた3人のお母さん達も親切に教えてくれつつではあったけど、ほんと難しい。先生の話など、わかる一節がある、というだけで総合的にはほとんどわからない。持って帰って辞書と格闘だな、と思っていたら、親の会終了後担任のひとりスージーがやって来て、書類を一枚一枚説明しはじめてくれた。途中から、非常勤のウシィも加わってくれて、最後には主担任のドリスも隣に座って、三人で丁寧に書類の説明をしてくれる。先生たちは子どもに英語を教えているにもかかわらずあまり英語が得手ではないようで(苦笑)、ブロークンである分いつもとてもリラックスできるのが大きな救いになる。
サインが必要な書類の中には、“放射能汚染があった場合の応急処置について”なんてのがあったりしつつ、普通の“緊急連絡先届け”なんかもあったりする。
笑えたのは放射能汚染があった時、万一親が子どもを迎えに行けなければ以下の者の迎えを許可する”というのがあったんだけど、そんな恐ろしい緊急時に果たして誰が行ってくれるであろうか(苦笑)。また、緊急連絡先の例として「親戚や隣人や友人」と言われて、「でもオーストリア国内ですよね」と言ったら随分笑って頂けた。「カノンが怪我しました、とか下痢なんだけとカエと連絡がつかないから迎えに来て下さい」なんて祖父母に国際電話なんか掛けたら、大変なことになる。爆笑しながらもドリスは「カノンのおじいちゃんやおばあちゃんとお話はしてみたいけれど、できれば平和なときが良いですね」と言っていた。じいちゃん、ばあちゃん、英語で良いからがんばっといて下さい。
話がまた香音自身のことに戻り、10月から区のサービスでもある乗馬セラピーに。これは正式名称ではないんだけど、馬に乗ったり馬の世話をしたりするセラピーである。一昨年、イタリアでも耳にしたが、ヨーロッパでは古い歴史があるらしい。馬にブラシをかけたり世話をしたり、また実際に馬にいろんな乗り方で乗せてもらったりして、大変有意義なものであるらしい。個人負担はひとり一回数ユーロなんだけど、実際には大変経費のかさむプロジェクトらしく、毎年予算を確保するのに苦心していらっしゃると言う。フォシューレに通った学校で出会ったフラウ・バウアーがそのプロジェクトを推進していて、しかし希望者も多いので難しいのだが彼女や担任などが尽力して下さり、香音も参加できる運びになった模様。大感謝。
それにしても昨夜の“うなされ事件”には驚いたでしょう、とこの話に。でも、どんなことでも香音が日本語でお家で話していることを聞かせて頂けるのはとても嬉しいことです、とスージー先生。今日はキョウリュウがいたと言いました、と言うと、見る間に先生たちは笑い出した。香音の証言を伝えると、クスクス笑いながら先生は「大正解、その通りですよ、今お見せしますね」と精巧な恐竜の人形を出してきた。大・中、小。言ってた通りである。うぉー、すごいなぁと、実はしっかり者の香音に感心することしきりであった。

すべての書類が片付いた頃には夜の9時を回っていた。いつもの倍の時間をかけて助けて下さったのだ。
書類を渡して、「わからないことがあったらいつでも訊いて下さい」と言って済ませられようはずなのに、なんて親切なんでしょう。帰り道すっかり感激してしまった。
すっかり遅くなって帰ったら、香音はもうパパと晩ご飯とシャワーをすませて寝ていた。顔を見て内橋さんは焼き飯を作ってくれた。なんか、学校でも家でも私が接待して頂いたような、思いもよらぬ母の日みたいな“親の夜”であった。