がんばった週の金曜日は楽しい朝。

 起きてますよ、毎朝6時半!(涙)。ギリギリまで寝ちゃうと、自分の支度をまだまだちゃんとできない香音にイライラしいてしまうし、早めに起きて、自分の身なりもそこそこちゃんとして、香音のペースで朝ご飯や支度をさせてあげる余裕がある方が、結局30分の寝不足を招いても断然気が楽なので、平日はギリギリまで寝ると言うことをしなくなりました。私を知るかなり多くの人々には信じられないのではないだろうか(笑)。ま、起きるまでダラダラ寝て慌てるのと、素早く起きてダラダラ用意するのと究極の選択で後者を選んだ、と言うことですね。

7時半頃家を出れば、学校には15分以上早く着くので、香音が多少上履きに履き替えるのが遅くてもイライラしないし、ちょっとした連絡事項を先生と話したり他の親と立ち話しても8時には学校を出られる。ギリギリに慌てて子どもを届けて駆け足で仕事に行く忙しいお母ちゃん達とはいつも挨拶程度だけど、金曜日は遅い出勤やオフにしている人が多いみたいなので、今朝は廊下でも若干母達にのんびりした空気があった。子ども達も課外授業や特別企画がある金曜は楽しい日だし、いつもより若干お父さんが送ってきてる子も多く賑やか。
ここ最近、香音は教室にある小振りなイーゲル、ハリネズミのぬいぐるみを毎朝手にしてバイバイする。先生によると、いつもと言うわけじゃないらしいけど、香音が喜んで手にするので大きい女の子達がそれを覚え、気がついたら手渡してくれるらしい。子どもにとってルーチンワークは時に楽しいことなので(香音はそれを町田の幼稚園で経験させてもらった)、朝お友達からイーゲルを受け取るのもひとつの楽しみになっているみたいだ。

話はちょっと飛ぶけど、香音がウィーンのシュタイナーの幼稚園に入った時のこと。文字を使わないヴァルドルフ幼稚園では、自分のワードローブや持ち物に自分のシンボルマークとして小さな絵を貼付けてもらうんだけど、中途入園の香音がそれをもらう時、イチゴだとかリボンだとかウサギだとか、女の子らしいシンボルはほとんど誰かが使っていた。それでも何かの花とか小動物など、幾つかの中から選ばせてもらった香音はその時、即決でイーゼルハリネズミを選んだらしい。
ドイツやオーストリアでは野生のハリネズミが居て、作物を荒らしたりするいわゆる害獣ではないからか、結構みやげ物やマスコットのデザインに見かけるんだけど、痛い針を思い浮かべると、日本人の私には“お気に入りの動物”にはなんかへんな感じがする。昔、何かで“ハリネズミの距離”という逸話を読んだことがあって、確かそれは、冬の寒い夜、動物は互いにひっついてお互いの体温を保ち合い温め合うんだけど、ハリネズミは敏感に針を立ててしまうのでそうはいかない。そこでハリネズミはお互い針を立てた状態でも針の長さ以上に近寄らず、針と針が交差する“ちょうど良い距離”を保って温め合うのだと言う話だった。中学生くらいの頃に聞いた話だけど、日本で身近に居ないハリネズミについてのわずかな知っていることとして、ずっと覚えていた。いきなり入ったウィーンの幼稚園で苦労しながら順応してゆく香音とハリネズミの取り合わせは、この逸話も相まってなんとも象徴的に感じたものだった。

で、今朝も元気良く私を教室から追い出してくれた香音は、ちゃっかり小脇にハリネズミちゃんを抱えていた。
このクラスの一年生はほかに4人ほど居て、そのうちのひとりの男の子がお母さんと今朝も早くに登校していた。おそらくお母さんの仕事の都合で毎朝早くに登校してるこのヨシュア君を見つけると、香音は「わぁ! ヨシュア!!」と嬉しそうに声をかける。ヨシュアは最初の数日、なんとも素っ気なかったけど、最近はニヤリと笑って「ハロッ、カノン!」と片手を上げる。彼のお母さんは金曜は出勤しないらしく、いつになく気楽に立ち話がはじまり、今朝はこれからパウリ君(この前、市場でナンパしてうちにお呼びした子)のお母さんと珈琲飲みにいくけれど時間があったらぜひ、と誘って頂く。ドイツ語にはGerne という言葉があって、意味的には“喜んで”と言う感じで動詞を引き立てるんだけど、日本語で言う“喜んで”がかしこまった感じになるのに比べるとそれはもっとシンプルで、頻出度が高い。お店で何か頼むと「かしこまりました」の代わりに店員にサラッとGerne! と言われるし、お茶はどう? ○○する? 欲しい? なんてオファーに対して、Gerne! と即答するのはワーイ♪って感じがして言われるのも言うのも気持ちがいい。「ママはヨシュアのママとパウリのママと珈琲飲んでくるわ」と言うと、香音もなんだかとっても嬉しそうだった。そういうもんだね。

朝の8時にカフェでお茶してますよ私…と内心笑いながら、早すぎてチンプンカンプンなふたりの会話にじーーーーっと聞き耳を立てる。どうせわかんないや、と他のこと考えたりしたらどんどんわからなくなって、唐突に話を降られた時(いや実際は内容的にホントはまったく唐突でなかったりするんだが)取り返しがつかないくらい素っ頓狂なことを言ってしまったりするし、たぶん聞いてる顔もきっと、相当間ぬけな「わかってない顔」をしてしまうに違いない。そう言う顔は自覚症状以上に惚けた顔であるはずなので、“聞いてたらいつか、わかるかもしれない”という涙ぐましいマヤカシでもって自分を励まし誤摩化しながら耳を傾ける。ましてや「わかる?」なんて急に思いついたように聞かれたりしようものなら大変で、その時に的確に話のどこまでわかってどこが何がわからないでいるのか、即答できたら会話はほぼ成立したも同然。だけど、「えーっと、その、あの、ヨシュア君がどうしたって?」なんて不安な顔で口走ってしまったら、たちまち話は振り出しに戻るかもしくは有り得なく特急便で省略されて、つまり私は置いてけぼりを喰らうのだ。まぁ、分からない話はわからなくってもいいし、無理なことは無理なんだけど、それでも“わかろうとする”努力は礼儀としても重要だと信じて頑張って聞く。頑張らないと聞けない(笑)。

本日はドイツ語コースのせっかくの休み、と言う時に特別授業でネイティブ・ドイツ語をとっぷり聞かせて頂き、それでもヒアリングテストみたいに答え合わせが無いことに安堵しつつ、珈琲を啜っていると、アグネス(パウリ君のママ)が急にカフェの外に何かを見つける。
金曜、今日の課外授業、一&二年生はカスターニャとマロニエの木の観察とスーパーマーケットへのヤウゼの買い出し、その一行がカフェの前を通り過ぎるのを見つけたのだ。ぜんぶで10人程の子ども達と先生ふたりが信号待ちしてるのを、母達三人はカフェのガラス張りの壁にへばりついて観察。するとまずヨシュアが気づき小さく手を振る。ヨシュアは香音と手を繋いでいたので香音にもこっそり教えてくれようとする。すると、引率の先生がこちらに気づき、わぁっと喜びながらカフェの方へやってくる。大木の観察ではヨシュアたちがいろんなことを説明してくれましたよ! なんて言いながら先生は凄く愛想がいい。わぁわぁ手を触り合いながら見送り、一年生二年生ってやっぱり可愛いなぁ、皆仲良くちゃんと手を繋いで素敵だったわねと母達感動。パウリはもうひとりの一年生の男の子と仲良く手を繋いでいたし、ヨシュアはさて出発、と言うとき、わたしに手を振って立ち止まったままの香音に「カノン、行くよ!おいで!カノン!」と手を差し伸べて呼んでいたのが、双方の親として感動的だった。可愛らしい子ども達。香音はまた、ヨシュアと手を繋いだ反対の片手にハリネズミちゃんを持っていた。
アグネスとダニィ(ヨシュアのママ)は、ウーシィ(先生)が自分たちにDuという主語を使っていたことに気づき、感心していた。いわゆる“親称”であるDuは、友達同士や子どもに使い、上下がある相手、距離がある相手にはSieを使う。日本語の敬語と違って、Sieは相手と距離をキープしたい時に使うという意識がある様で、冗談めかしてディータなんかは「Duは好きな人、Sieは嫌いな人に使うんだよ」なんて言う。ウーシィがごく自然に私たちにDuと言ったのは“感じが良い”ことだったのだ。その代わり、もう一人の引率に来ていた教育実習の学生さんがいたんだけど、奔放なウーシィに彼女はなんだかちょっと面食らっていたみたいだった(苦笑)。

遅い出勤が控えていたアグネスは、私たちに珈琲をご馳走してくれてほどなくカフェを出た。ダニィはまだ時間があったので、そのままふたりでしばらくおしゃべりをした。
つくづうく思ったんだけど、同じ私のドイツ語の相手をしてくれるのでも、彼女達の様にわかりやすい話し方でつきあってくれる人もいれば、いつも親切で優しいけど何をしゃべってもわかりにくい人と言うのも居る(大苦笑)。そう言う人と話すと疲れるし、自分のドイツ語がまだまだなんだとヘトヘトになるけれど、こんどそう言う人と話して自信喪失しそうになったら、これは案外私だけの問題ではなく、その人の話し方がわかりにくいのだと思うように、しようと思った。



※追伸:ハリネズミはドイツ語でイーゲルというそうですが、さっきまで間違ってイーゼルと書いてたので訂正しました。イーゼルは画架(笑)。YUKAさんありがとう。