4連休その2

前回の4連休記録をその1としたので、過ぎてしまったけどその2を。

金曜は前記のように“金曜会”でお楽しみし、土曜はお買い物などしつつ片付けなどしつつ。深夜、内橋さんがポーランドよりご到着。フライトや電車は数に限りがあり、移動にもう一日とられそうなので急きょバスにて帰って来たのだ。9時間のバス旅なんてあなたはひとり渋さ知らズですかというところですが、そりゃいいとしてお帰りなさい。

日曜日…は何してたっけ、散歩したかな。うちの近所、旧宅ならさらに激近だった大通り沿いのイタリアンレストラン。ピッツェリアって書いてあるからピザ屋なんだけど、そういうには各料理しっかり美味しい。そして見た目の雰囲気にしては安い。という訳でいそいそ通っているところだが、散歩のついでに(?)今日も立ち寄る。陽射し心地よい大通りに並んだお席。この春はここへZAKやセンジューくんたちが来た時も案内して、内橋さんのお気に入りのパスタを皆で食べたよなどの話を。ウィーンに越してから、なかなかウィーン滞在が少ないお父さんなので、いつの間にか“留守中こんな方々がいらっしゃいましたよ”話の多いこと。

そう、日曜は快晴だった。
明るいうちに帰宅するのがもったいないくらい天気よく、ちょっと暑いくらい。日陰はひんやりするのでしのげるけど、プールや川へ行ってる人も多いはず。だのに。なのに。


月曜日。
あいにくの曇り空だけど数日前から計画していた通り、香音の小学校のクラスメイトふたりの家族とプラターの公園で遊ぶ。芝生の上でのーんびり。子らが遊具で遊ぶ間に、フリスビーなどで汗を流し(私は見ていたけれど)、そのうちカードゲームが取り出され、大人5人子どもふたりでワイワイと楽しむ。賭けなくても充分に盛り上がる。盛り上がり過ぎて集中し過ぎ、雲行きが一気に悪くなり、そのうちポツ、ポツ…ザーーーーーっと降り出してしまった。慌てて片付け、遊びに夢中で戻ってこない子どもを捜しに走り、今度は子を探しに行ったまま帰ってこない親を探しに行き…を繰り返しても雨は更にひどくなるばかり。一台だけある車で半分を、残り半分は車にあった傘で歩いて帰るが、帰る頃には全員ずぶぬれになっていた。
うちへ戻った濡れ鼠一行、交代で足を荒い交代で髪を乾かし、Tシャツをお貸ししてホッとする。わたしは仕込んでおいたおうどんとおそばの準備に取りかかる。
本日はルカス君パウリ君のご家族来宅。
ふたりともクラスの子だけどルカスだけ二年生。元パンクのお母さんと2人で来たけどお父さんもあとから合流。パウリはお姉ちゃんもいっしょ、しかもお母さんの新しいボーイフレンドもご一緒。うふん。この彼が日本の陣内孝則(我々世代の方の陣内)と彼のパブリックイメージにかなり近い。そして顔も結構似ている。前回のOttakring のお祭りで会ったミナちゃん、今回は内橋さんも初見からそう感じたと言うから間違いない。
パウリのママは若き日に半年日本に滞在したことがあり、「日本語が話せますか?」と香音が訊くと「はい、とてもすこしです」と恥ずかしそうに答える親日家である。
子どもたちはぎゃあぎゃあと遊んでいるのでその間に、大人はワイン飲酒開始。
公園で遊んだあと雨に降られると言う珍事、その後ずぶ濡れになって帰宅しTシャツを着替えへアドライアを順番に使って…という儀式のあとだったので、普通以上に打ち解けた気分で乾杯。
子どもたちには冷たいおうどんに野菜と蒸し鶏をのせたものを用意するが、遊びに夢中なので男の子達はろくに食べない。特にルカスはたっぷり残してくれやがるがしかし我らが香音が彼の食べ残しまで完食。パウリの残りはお姉ちゃんのサリータちゃんが完食。そして子どもたちには蒸し鶏がだい好評だったので一応、満足。

そう、12歳のお姉ちゃんはめちゃ可愛いんだけどまたこれ、誰かに似ている。ずーーっと気になっていたがやっとわかった。UAちゃんだった。

お喋りしたり子どもの世話したりしながらなので時間がかかったものの、なんとか大人のお蕎麦が完成。
白髪切りしたきゅうりや人参、コロラビ、蒸した七面鳥(鶏がお店でちょっとしかなかった)、野菜と蒸した鳥肉のスープで炒め煮にした西洋白ネギ、すりごまなどをトッピングにして冷たいおそばを自由に食べてもらう。お出汁はもちろん一番出汁をとって自家製にした。あと、お義母さまより送って頂いた作り立て(乾きたて)の乾燥湯葉(激ウマ)もお出しした。
というのも、元パンクのママの旦那(この人は元パンクではない)が「痛風」で、酒飲まない肉食べないと言っていたので、ネットで調べて痛風患者にも優しい献立にしようと張り切り、そして「大豆蛋白が良い」とあったので慌てて貴重な湯葉を戻したのだが、湯葉を説明すると「これは私の病気にとても悪いのです」と言う。でもちょっとだけなら大丈夫だから頂きます、と言う。???わたしの見たサイトが間違っていた???言い張っても仕方ないし、根拠に日本語のサイト見せても皆目わからないはずなのでとりあえず失礼しましたと謝るが、どうなんだろー。気になるけどまぁいいので検証せず。

ま、そういう一場面もあったものの、お蕎麦は皆さん喜んで召し上がり、あっという間に無くなった。運転して帰る陣内と通風氏は飲酒しなかったが、我々と親日家ママ、元パンクママはしっかり飲んで、饗が乗って内橋音楽の話に。口で説明しても仕方ないので、内橋さんが自分のCDを聴かせる。次々にこんなのとかこんなの…と聴かせると、音楽好きの元パンクが食いつき、質問攻めに知る。この人のうちに行った時、最初はクラシックがしっとりと流れていたけれど、家の奥には結婚祝いに貰ったと言う年代物のジュークボックスがあり、その中には80年代のロックとパンクが満載だった。iPodをいつもぶら下げていて、常時かならずラモーンズが入っていると言うので、総じて音楽好きなんだろう。内橋さんも酔いがまわり、大人は感じいいし子ども等は愛らしいので調子に乗ってダクソフォンを取り出し、飲食していたリビング兼香音の部屋で演奏をはじめてしまった。たぶん9時は過ぎていたと思うけれど、珍楽器登場で子等は大騒ぎ。交代で弾かせてもらったりして大喜び。内橋さんが自ら、美人少女サリータちゃんの後ろから、抱きかかえる体勢で弾き方を教える様子は、若干の萌えを感じヒヤヒヤした。サトラレだったら絶対、逮捕されている。私も内橋さんも。

しかしクライマックスは美少女への伝授そんなものではなかった。
影の薄かった通風氏が、なんだかむずむずしている。足先が痛みだした訳ではなく、ダクソフォンに興味津々。素早く気づいた内橋さんは通風氏に「やってみる?」と問い、やはり彼は飛びつくように試していた。楽しかったらしい。


ルカスたち家族が間もなく帰宅し(だって10時半過ぎてるもんね)、それでもしばらく親日家ママ家族&陣内とは談笑。ふと気がつくと飲んでいない陣内は手持ち無沙汰だったのか台所でちょっと片付けしてみたりしていて、いやしかしあまり細かいことが思い出せないくらい我々はたっぷり飲酒しており、わぁわぁと帰って行ったのは夜中12時を軽く過ぎた頃だった。
香音はさすがにスイッチオフするようにぱったりと寝て、そしてわたしもばたんと寝た。内橋さんも。


4連休最終日はもう、朝からゆっくりゆっくり片付けて(いやしかし家中凄いことになっていたが)、慌てて動いて頭痛を誘発しないように気をつけながら一日過ごした。二日酔いギリギリだった。しかしお昼には恩田アキが遊びにきた。N.Y.からウィーンに仕事で来ていたのだ。昨日の残りであったかいお蕎麦をご用意し、やっぱりトッピングに七面鳥をのっけた。それはそれでさっぱりして美味しい、と苦笑してくれた。

しばらくアキちゃんと談笑し、その後散歩がてらに街へ。メガネ屋へ。
昨日の乱闘で香音のメガネが壊れちゃったのだ。そろそろ新しいメガネを日本で作ろうということで、可愛いフレームだけ買ったら、また修理を無料にして頂けた。今回の修理はメガネのつる一本付け替えたので、傍らには一本ツルを失ったメガネがある。つまりひとつフレームをつぶして直してくれている、のに、無料! 今まで鼻あての交換とか歪んだフレームの矯正とか、何度か修理をしているけれど、有料だったためしがなく驚くばかりなのだが、またもやである。メガネ族に優しい街なのか、ウィーン。


って感じで、クライマックスのドンチャン騒ぎを挟んでしずかに終えた4連休であるますた。
後日建物の中で会った階上にお住まいの奥様(下町のチャキチャキおばちゃん)に、「フィングステンの月曜、子どものお友達がたくさん来て宴会しちゃいました。うるさかったでしょうか、ゴメンナサイ」と言うと「あら! うちの旦那が“子どもが家具叩いてるなぁ”って笑ってたけど、パーティだったの? あたしは何にも気づかなかったわよ、うちにはもうすっかりい大きい子がふたりいてここで育ったから、子どもがいる生活がどんなものかよく知ってますよ、大丈夫よ」と笑ってくれた。(ほんとはもっといっぱい色々言ってたけどわかったのはこれだけ。)庶民的な佐藤オリエみたいな人なのでホッとする。あとは階下の元軍人のおじいちゃん宅である。こちらの家族構成を存じ上げないので、もしかしたらどなたかをイラつかせてしまったかもとちょと心配。おじいちゃん自身は、かなり楽天家で耳が遠そうなので、いいんだけど。