Golden Green

6月20日に、まふたちUAの新しいアルバムが発売されます。
5月に出たマキシシングル『黄金の緑』に収録された曲などももちろんのこと、カラフルな楽曲がそろい踏み。

実はわたしも、UAの正月の思いつきで一曲、詞を書かせて頂きました。えへへへ。
友達のバンドや演奏のために歌詞を書いたり訳詞をしたりと言うことはこれまで実は時々ありましたが、日本が誇る歌姫のアルバム、メジャーデビューであります。英語詞で唄いたいと言うことで、親友翻訳家、いとうはるなに訳詞を依頼。依頼とは言え、所謂“丸投げ”なんてでけまへんから、連日連夜スカイプで共闘しつつ仕上げました。2週間余りの創作期間、相当集中して取り組みまして、本気のパッチですよ。メジャーデビューとは言え最初で最後になるかもしれないんだからと、いきなり背水の陣気分でしたからもう、遺書のつもりで。
UAの唯一の注文は、“楽しんで書いてちょんまげ。底抜けポジティブで”。何かあほみたいですが、これは曲が先にできていたので、そのイマジネーションありきでの発言ですから誤解なき様。
遺書くらいの気持ちで、でもポジティブに、ってことで書き上げまして、却下お蔵入りの心配もどうにか免れ、アルバムにひょっこりおさまりました。


で、自分のことはこれくらいとしてですね。
サンプル盤を聴きました。今も聴いています。普段の私なら、まぁアホ的にサンプル盤で先取りして聴けるのを鼻にかけて威張り散らして(笑)内橋さんの仕事ぶりを讃えて宣伝…ってノリですが今回はちょっと違います。そんな悪童キャラをしっとりと落ち着かせる、良いアルバムなんです。



ネットで散策するとあちこちでレビューとか紹介も読めるのですが、そういうのはさて置き。

どの曲がどうとか参加ミュージシャンがどうとか、話す意味は無いと思う。
聴けばいいんですから。
誰が何をしたって言うのも、もちろん人の仕事は評価するべきですが、でも人に勧める時に並べ立てるのはかえって失礼なんじゃないかと思う。
もちろん、ZAKのミキシングは尊敬すべき仕事。mp3とかヘッドフォンとかじゃなく、ちゃんとスピーカーを鳴らして近所迷惑にならない程度にちゃんと鳴らして聴いて欲しい。そしたら彼がどれだけ、音ひとつずつを大事に混ぜ合わせたか、きっとわかるから。彼がエンジニアとして敬愛されるのは玄人中の玄人だからじゃない。素人でも、ちゃんと聴いたらその魔法が聴こえるから見えるから。
だけどZAKがどれだけエラいかなんて、ほんとは知らないままでもちゃんと楽しめるし、愛せます。大丈夫。

じゃあ何を言おうか。何も言わなくてもいいか。
わたしが言えることなんてすべて、ちゃんと聴いた人はつぶさに残さず、ぜんぶ感じてくれると思うよ。
そのためには、ちゃんとお小遣いから買うこと、ちゃんと聴くことがプロセスとして大事だと思う。買う決断をして、ドキドキしながら封を開ける…これをすっ飛ばす人とは、今から言うことは共有できないと思う。残念ながら。



聴いた。
胸がいっぱいになったよ。いろんな、大事なことを思った。
例えば、ラブリーな音楽で「誰かを好きになりたくなりました♪」なんていう赤裸々な(笑)感想を耳にしてこっちが恥ずかしくなったりしたことがありますが、似たような言い方で小恥ずかしいので小さい声で言いますと、そうですね、好きな人はハナからいっぱいいるので、誰か、よりも“自分のこと”が好きになれそうな、そういうしあわせなしっとり感があります。それでいて、胸がいっぱいにと言うかつまると言うか、ね。


藤野家舞ちゃんという人がいるが、彼の曲、「Paradise Alley/Ginga café」という曲があって、じっくり聴くともう、わたしは舞ちゃんに恋をしてしまいました。舞ちゃん、大好きです。もしこんど、とっておきのかわいい詞が書けたら、舞ちゃんの曲をもらいたいです。こんどいつ会えるかわからんし言っても照れて逃げて行かれそうだからここで書き置くので、誰か会ったら言っといてください。悪いね。笑いながらで、良いからね。って思うのは、Uaが書いた詞がまた愛しい詞なので、そのせいですっかりあたしはうっとりしている。


朝本浩文さんの曲がアルバムの最後にあって、あんまりせつない曲なのでもう一回もう一回と聴き直してしまうんだけど、これは「Moor」という曲。私の大好きなあの彫刻家の名前からとったのかしらと一瞬思ったけど、ちゃんと聴くと舟を岸につなぐという詞があって、おそらくその意味の動詞moorなんだろうなと思うけどそれって、日本語の渋い言い方では「(舟を)もやう」って言うんですね、これイイですね。



ところでこの曲は映画『赤い文化住宅の初子』のエンディングテーマだそうで、この映画の本編の音楽は豊田道倫さんがやっていて、まだ観ていないけどきっと良いに違いないのです。
(ナイーブな人はこの目で見ないとわからないといつも言いますが、わたしは決してそう思っておらず、世の中に、ほんのわずかですが「観なくてもわかる場合」があって、今回はそれがあてはまるのです。そういう勘は外れたことが無いので、観ない限りわからないと言う理に実感を持てないのです。もちろん、良いだろうと思ったら残念賞…程度は時々あるけどそれは別。あくまで、良いに“違いない”とまで言える場合、に限ります)
Uaはこの映画を観てその詞を書き下ろしたそうで、彼女にこんな詞を書かせた曲とそして映画。それが足りない訳が無い。そして豊田さんだもの。自分が観る前から安心して人にすすめられて、そしてわたしも、安心していつか観るんだ…。


わたしは地球愛とかエコロジーとか唱えるのは虫酸が走るので絶対言わない。言わないしわざわざ言う人を観ると胡散臭く一歩も二歩も後ずさってしまう。あまりにもどれもが、薄っぺらくって軽々しくって聞いていられないからだ。事の重大さに比べて。
けど、このアルバム全体を通して聴いた時、そこに語られる言葉を片っ端から聞き逃すまいと、聴きこぼすまいと、無意味に書き留めそうになるほど、その言葉ひとつひとつを受け止めたくなった。個人的に。

これだけは言える。Uaは愛について、長い間あがいていた。それはそれは、あがいていた。時には飽き足らず、時には矛盾して、それはみていて痛いし、やだった。チキュウとかダイチとかフヘンテキなモノへの憧憬を彼女が語るとき、それは時として、足許の不健康さの言い訳のように見えて、わたしは後ずさりした。言葉がすんなりと胸に落ちてこなかった。
けど、こんどのアルバムではどうだろう。もしかしたら、彼女はもの凄くスッキリしたんじゃないかなと思う。
なんだ、自分を好きでいてい良いんだって。自分を好きでいたり、普段着の誰か個人を愛したり心配したり、小さいイトナミで精一杯でそれで、いいんだって、好きな人を思って、思って、時に一人称になったり二人称になったりして、そうして、その小さいミクロなloveの奥中に、ちらっとマクロなもの、かわらないもの、何かにずーっと繋がっているってことをちらっと直感できたら、それを信じれば良いってこと。
ってなことなんかを、紡がれている気がして、なんか嬉しくって胸と目が熱くなりました。


名盤です。
作った人、携わった人たちの、温度が伝わります。その端っこを作らせてもらえたことにほんとに感謝しているし、それから、今回のできあがるまでの、わたしのケモノ道を照らしてくれた、朋友と敬姉とココロの友には特に感謝しているので、この三人には贈りますからね。
稲田くん、みかこ姉ちゃん、野村くんは買わないで待っててね。




ほかの優しい皆さんと多感な皆さん、すかんぴんなのは百も承知ですが、ぜひ買ってみてください。お願いします。