帰国記 1 7月某日 パキスタンの日本人

ご無沙汰しておりました。
もはやブログと呼べません。覚え書きですね。
はい、夏休みの覚え書きです。
とはいえ誰に向かって書いてるんでしょうか。
意外と2ちゃんのUAのスレッドにリンクが貼られておった様で、まことに名誉なことでございます。

ってことでそんなコマメで純なUAちゃんファンな人の目線も意識してそれっぽいネタも織り交ぜつつ、行ってみましょう夏休み大解雇。いや懐古。

  • 七月某日/日本着

6月いっぱいできっちり夏休みに入ったので、7月早々出立。我が家の大蔵省の命令でパリ経由、エールフランスは食事は不味いが座席は最新型(ほぼ)。
しかも夕方出発でパリを発つのは夜半、日本には夕方到着で、どうなることかと思ったが今回は香音、ちょこちょこ寝たり、トイレも乱れず、飽きてごねたりもせず、近年稀に見るよい子っぷりで到着。前回は機内でご乱心多々により到着即解散したいくらいだったので、今回は念のために成田でホテルを確保していたが、それもホントは必要なかったかもしれない…というのは言っても仕方ないので機嫌良くチェックイン。
このホテル、成田からシャトルバスが出ているんだけど、その、懐かしさ以上に古くさい旧旧型観光バスにて、なかなか一興なひととき。
全開時のYuko Nexus6 ばりに即席社交してみた隣席の日本人女性お二人は、パキスタンで医療奉仕しておられる看護婦さんと助産婦さんだった。まぁ半年や一年の海外ボランティアなら、今時ならば気合いの入ったホームステイとか毛色の変わった私的留学とそんな変わらなry…と驚きもしないあたくしであるが、おふたりは10数年のお勤めだそうで、もう被ってもいない帽子を一旦被った上で脱帽したいくらい、驚いた感心した。そして関心も。
失礼にならぬ程度にとはやる気持ちを押さえつつ質問質問。

仰るには、働いておられるのはカソリック系の病院で、粗末なりにも病院然としているその施設にて、学んだ現地語を駆使して地元の主に女性を対象に、安全で衛生的な医療を提供しておられるらしい。共に働く女医さんはアイルランド人。地元の人々は敬虔なムスリムイスラム教徒なので、妊婦さんとて男性に触診されてはならぬため、異教徒とは言え女医さんがいてくれるのは何よりと現地でも大変喜ばれているらしい。
「そっかぁ、もともとインドのヒンズー教徒とケンカしてムスリム国として独立したような国ですからね、敬虔なんですよね」と遠い記憶を思い出して納得すると、おふたりは「うわぁ、詳しいですね!」と驚かれた。10数年その国と真正面から関わり続けている方が、この程度の間抜けな発言に驚かれるとは。いかに母国にて同胞の不理解に晒されておられることか。きっと、パキスタンアフガニスタンカザフスタンの区別つかぬ…ぁ、あたくしも白地図で指し示せるか不安ですが、母国に帰るたび同国人にご職業について話すたび、無関心の冷たい仮面たちはとんちんかんな相づちを打っていたことでしょう。

日本以外に住んでいる日本人と母国の悪口を言い合うのは大変居心地悪く、面白くも何ともないので、なんとなぁく話題の雰囲気に気をつけつつ、帰ってくると以前当たり前だったことに改めてビックリしますよね、なんて言いつつ、空港からホテルまで、興味深いお話を伺った。
答えさせてばかりでは失礼、と思いつつ自分たちのことも話したとは思うけど、何をどこまで話したかは思い出せない。と言うことは、大したことは話してないんだなきっと。
彼女たちはひと月半ほどの一時帰国を終え、明朝早い便で日本を発たれる。一緒に休暇を取って遊びに来ていたアイリッシュ女医氏を京都へお連れしたのは楽しかった、毎回帰国はあっという間で…など伺いつつ、お疲れも見えたし、我々も宿で一息ついたらどれだけ疲れが出てくるか不明だし、誠に残念だったけどお茶とか晩飯に誘うのは遠慮して、エレベーターでお別れした。旅先で会う人は、また旅先で会えるような気もしていたし、何より旅先でアドレス交換したのに結局途絶えてしまうという、よくあるこっちのパターンを何となく避けていたりして。

そう、お互い日本人で日本に里があり(彼女等は栃木県と仰っていた)、定期的に帰国しているのに、旅先で会った気がして仕方なかった。
ひと月やそこらの短期滞在で、もっと腰を据えたところへまた戻るからそう思う、といえばクリアにその通り。
ただ、まったく異なる理由や事情を持ちつつ自ら離れたところであると、そしてそれがまた日本っていう、こういう国であると、ああいつ帰っても我が国ニッポン!と羽を伸ばせるかと言えばそれはもうなくって、気づかぬうちに自分が客人になっている現実が待っていたという。



さて、不特定多数のみなさん。
わたしは上記の彼女等にまた再び会うことはできるでしょうか。
栃木県出身で、カソリック教会のどっかの組織から派遣されて、パキスタンでもう10年以上医療奉仕されている2人組。
しかし勤務地は首都イスラマバードではありません。
第二の都市くらいのことをおっしゃってた気がしますが、その街の名も失念してしまいました(呑んでた訳ではありません)。
いつか、パキスタン、行ってみたいですねぇ。
そんな彼女等でも「あれには懲りました」と仰っていたパキスタン航空はこの際避けつつ、遠路遥々、たぶんタクシーのおっさんとケンカしたりバスに乗り遅れたり地元のおばちゃんの世話になったり怪しい爺に売りとばされそうになったり野糞したりしながら、人々の温情と協力と好奇心で最後にはあっさりたどり着いたりして再会。みたいなこと、できるんでしょうか。

やっぱりメアドくらいい聞いといたら良かった、と、ちょっぴり後悔する、さっそく夏が終わりそうなウィーンより。夏の思い出第一報でした。




※帰国記その2からはアメーバの方に書くことにします。何でって理由は特にありませんが、あっちがあんまりにも開店休業なので。
 ってことで、こっちはまたいつも通り、チビのいるウィーンの日常を。

※※ほら、続けてるよ! http://ameblo.jp/bluffs/entry-10043979295.html

※※※失礼。日付、動かしました。8月記録をちょっとずつ書きたいなーとか、思いまして。