絶賛療養中

 ご無沙汰です。術後の経過は良好です。疲れやすさと各所某所の痛みもありましたが、それも随分治まって参りました。
ちょっとくらい飲んでも、ちょっとくらい夜更かしして寝不足でも翌日まぁなんとか大丈夫。というくらいの回復。

このひと月半のうちに術後初の定期検診があり、概ね良好でコドモとオットーの誕生日がありしっかり宴会をし、友達のライブやちょっとしたフェスに行き、古い友達に久々に会い新しい友達もできちゃったりしちゃったり。

***

病気して入院してみて思ったこと。
心配して病院に付き添ってくれたりお見舞い以上に協力して頂いた方々へ、感謝とカタジケナイのココロは今も変わらないものの、こっそり打ち明けると病気してトクした?ってくらい、多幸感もありました。
手術前、心細いのを隠しつつ「術後は暇だと思うから見舞いに来てね!」なんて携帯メールを一斉に送ったら、一週間で10人を超える人が見舞いに来てくれてしまった。
手術当日、内橋さんに半日付き合ってひたすら一緒に待っててくれた人や、花やヨーグルトを持って毎日来てくれた人、一日に二度三度足を運んでくれた人もいるし、退院時には荷物運びに駆けつけてくれた友達もいた。うちに帰ると日本から手紙やメールがあって、病気の痛い思いも怖い思いもどうでもよくなるくらい、自分は幸せなんだと思った。

退院してすぐ、クレムスで大好きな音楽家のピエール・バスティアンに再会して、たっぷり話した。久々にドキドキしながらライブを観て、死ななくて良かった〜とほんとに思った。良いことが何かあると、美味しいもの何か食べると、病気が治って生きてることにほんとに幸運を感じたし、ヤなことがあっても「でも、生きてんだから良いじゃん」といつも思う。

***

それは、病気をして手術前に死を身近に感じて、また病気や事故で死んでいった友人のことを何度も何度も思い続けたからだ。
もういなくなってしまった人を思い、自分もいなくなってしまうことをリアリティを持って考えたから。

***

誰かが、病気か事故を経験したあと、「残りの人生は神さまからのボーナスかおまけみたいなもの。生きてるだけでラッキー」という意味のことを書いていた。わたくしは今、結構贅沢なオマケを長々と満喫しはじめている。

***

しかも今年は年女で、しかも60年に一度とかの、亥の者どもに最高の年だと言う。「そんな年に手術なんて」と言われそうだが、この経験はカナリ得難く、ある意味大当たりだし、人に迷惑や心配や負担をかけたことを棚に上げさせてもらえるならば、極上の経験なのだ。ビッグギフト。

***

10年。
ケッコーンして10年経った記念すべき一昨年は、ウィーンに引っ越してまだまだいろいろ大変だったのであまり感慨は無かった。記念といっても、まだ実感がわくには早すぎた様で、やっと11年経った今になって“ほぼ10年”を俯瞰できるようになってきた。
近ごろ面白く感じるのは「あれはもう、10年も前なんだよね」と言えることが増えて、そのことがことさら大人感を実感させてくれてちょっと嬉しい。わたしはほとんど、幼なじみとか十代の頃の友達と交流していないので、20代の頃は“10年前の話”と言うのができなかった。内橋さんは12も歳上だから当初から「10年前の話」が満載だったんだけど、それが実はずっとうらやましかった。しかし晴れて今、「10年前の話」がたっぷり増えて嬉しいのだ。このようなことで、わたしは歳をとると言うことを愛して止まない。

さて10年。10年付き合ったら、そろそろ若輩ながら長い付き合い、と言っても良いのだよね。
夫のようにずーっと会ってる人から、しょっちゅう会ってる人、比較的しょっちゅう会ってる人、年に数回、年に一度は会ってる人、数年に一度だけど、会うとかわらぬ関係である人、久しぶりな人、超久しぶりな人、久しぶりの理由だって、そりゃもぉピンからキリまで多様で多様で。

でもね、ほぼ常にハジメマシテもあって、会って別れて、子どもももうけて、病気や事故で友達を、時には幼い友達を失い、自分もmemento mori な思いをして、そしてこうしてオマケをむさぼる幸運を得てみると、付き合い方の多様さなんて、ホボ、どーでもいいんだよなぁと思い至ったよ。

だってさ、生きてるだけでまる儲けなんですから。
達観。
生きてるだけでアリガトウ。生きてるだけで浜村淳。あんたもあたしも浜村淳
生き恥さらして生き延びて、また笑って会っちゃったんだから、それでえーやんかぁ。
たとえそれが、大した意味なくっても、それでもいいのよ。ねぇ、たぶん。ガハハハのハだよ、人生は。