久々の今週

長らくの放置プレイ、申し訳ございませんでした。
ご心配おかけしましたkinsei師匠ほか暖かき朋友の皆さま、メールありがとう。
生温かきガハク、コメントの放置ごめりんこ。
思うところございましたが、書くほどのこともないので黙っておきます。今後の更新も、どうでしょうね。よくわかりませんね。


絶賛療養中からすっかり体調も回復。一時的に食肉しないで過ごしていたら、すっかり炭水化物の摂り過ぎでぽったりと太ってしまいました。菜食でどうして太ったのかと自問自答という名の妄想を繰り返し、要は米と麺でした。あと、豆と麦。太らなそうでしょ? でも調理法と分量が狂ったら、ちゃんと太るんです。実証しました。


久しぶりすぎて、はてなダイアリーの編集方法がうまく思い出せない私です。
長くなりますが久々なので、まぁおつきあいを。
ちょっとした顛末もございますので、途中でやめたりしないでね。途中でやめんなら、悪いけど最初から読まんとって。

そう言う訳で、しばらく炭水化物を激減することにしつつ、久々のエントリーはFaschingdienstag ネタというのも皮肉な話。
だってこれっていわゆる謝肉祭である。うわ、二行に肉が二回も出てきたよ!


Faschingsdienstag。
IQ40程度(適当)に説明すると、“暗く寒い冬ももうすぐ終わるよ”“もうすぐ春よねまだやけど”と、欧州とくにカソリック諸国では、今週は月曜から連日節日が祝われるという。
細かい解説は好みでないので他に譲るとして、独語で「ファッシング(懺悔)の火曜」というこの日は、毎年各地で仮装してお祭りというのが定石らしい。あれです、イタリアはヴェネチアとかブラジルのリオの仮面のカーニヴァル、あれはコレなんですって。
謝肉祭っつーのは、かつてイースター(復活祭)の前の40日間を断食もしくは肉食禁止してたので、その前に肉のまとめ食いして宴会しよう、というコンセプトだったらしい。ちなみにそのイスラム版がラマダーンである。で、この肉断ち(カソリック)もラマダン(イスラム式日中の断食)も、そんなに信心深くない若者などでも未だ、結構実践していたりする。季節の変わり目に軽い断食をするのは健康に良いから、と言うのを、私はオーストリア人からもトルコ人からも聞いたことがある。


で、まぁ諸国がどうであろうと、歴史がどうであろうと、宗教がどうであろうと、毎年この日は街中に狂った子どもが溢れるのであります。
各小学校では、基本的に宗教と分離していてもこの日は子どもたちに仮装を奨励するのです。カソリックに限った事ではなく、公立小学校も私立もどこも、おそらく100%と言える小学生が、この日は朝から本気の仮装で登校。
我らがおチビが通う、多国籍統合学級でも。外国籍各宗教の児童たちももれなく朝から気合いの入った仮装であります。
当クラスでは毎年テーマが指定されるようで、去年は「おどろおどろしいもの」。
ちょっとハロウィンみたいであったがおばけやドラキュラがわんさか登校してきてた。
今年のテーマは「映画や物語の有名人」。


先立つ事一週間前、このテーマをプリントで知らされた我ら母子は、夕飯のあと会議した。

結果、「『ラタトゥーユ』のリングィーネになりたい!」。
日本語タイトル、『レミーのおいしいレストラン』の主人公である。いや、主人公はネズミか。人間の方。見習いコック君のこと。

チビは二年生であるが、これまで具体的なアイデアを出す、ということがほとんど無理であった。即興的な反応として選択肢を時には驚くべく飛躍した発想で申し述べることはあっても、「どうしたい? 何がいい?」的な質問にはたいてい「なんでもいいよ」としか言えなかった我が子。

そんな彼女が生まれて初めて、具体的なご希望を指定してきた。まぁ若干の誘導はあったものの、大した進歩。11月のお誕生会に大好きな友達たちと観に行った思い出の映画であるから、当然と言えば当然であるが、本人的にもこの発想を気に入った模様。


さて、件の映画をご覧でない諸氏はピンとこないかもしれないが、当該映画の勘所は以下の通りである。
天才的な料理の才能を持つネズミのレミーが、パリで料理の才能の無い新米コック見習いリングィーネと出会い、彼のコック帽に隠れて秘密の料理指南をする。一見普通の見習いコックのリングィーネであるが、その天才的な調理の秘密はコック帽の中に隠れたネズミであると言うこと。


我が家には、先日のチビの誕生日にと、祖国の祖父母より当該映画メインキャラのフィギュアが贈られていた。
我が家唯一のキャラクターグッズである。その中のリングィーネをじっくり観察すると、必要なのはコックスーツとコック帽。それから前掛けである(ズボンはジーンズか何か)。コックスーツはボタンが8つ、本来ならダブルの上着なんだろうけど、どうしようか。前掛けは簡単、レミーのフィギュアをどうにか頭の上に固定できたら面白いかな。問題はコック帽…。


こうして数日に渡り、頭の中で妄想的試行錯誤を繰り広げた。



数日前、はぎれのワゴンセールで二種類の白い布を購入。
そのうちのひとつはキルトや冬着の中綿用のもの。これで帽子をと思いつつ、その形成に相当悩んでいたのだけれど、結局前日に呑みに来ていたミナちゃんが呑み喰いの片手間に思いついた方法で“ワンタッチ帽子”的作品ができることを発見。加えて最近購入したグリューガンが大活躍して、どうにか一式を製作することができた。

前夜の試着と当日の朝。
チビはさすがに大喜びである。

断っておくが、手芸の才能はゼロどころかマイナスであるわたくし。
すべて「工作」である。細かい回顧ははしょるとしても、その製作過程は甚だ夏休みの工作よろしく、適当に切る、貼る、ちょっと縫ってみる…の繰り返し。しかも、白糸を買い忘れたゆえ、あちこちに焦げ茶色の縫い目が見え隠れ…。着心地なんて良いはず無いし、もうちょっと子どもが大きければきっと「あら自分で作ったの?」と本人が言われるであろう有様。適当に作ってるから着せてみたらかなり窮屈で、試着のシリからビリビリ破れる始末。しかしツクロイとか手芸的補正がまったく無理な作者なので、グリューガン(ピストル型で、熱で溶かした接着剤が何でもひっつけてしまう)が大活躍。“子どもが作ったぬいぐるみのお洋服”みたいなノリで衣装が出来上がった。
(これなら、“手作りが苦手でヨソんちの子の手作りアイテムにコンプレックスを抱くママたち”も傷つけないだろう、というのが結構自分の中でいちばんポイントだったりする。そう言う人には、「ひぇっ、あんなので良いんだ!?」くらい思って頂きたい。テクよりアイデア。そんな程度の私。)



フィギュアのレミーの固定も散々悩んだけど、結局小さいヘアクリップにこれまたグリューガンで固定して、それを頭頂部のお団子にちょんと付けた。帽子を取ったらレミーがジャ〜ン!である。

たった1日のことである。変に凝ったところで帽子をなくすことすら考えられるので、帽子のてっぺんは閉じないことに。これで作業は半減。
お陰で帽子を取らなくってもレミーが見える。

上から覗いて見ると…。

この角度のレミー、かわいいなぁ。



登校のバスの中は、小さい魔女や意味不明の小人モンスターでいっぱいである。
みんなメイクもめちゃくちゃやっているから、さしずめ早朝から狂った子どもで街があふれているようである。みんな一種の興奮状態だから、ろくに上着も着てない子達が仮装用のマントなどをなびかせて、通学路を練り歩く。大人たちはもちろん了解してるから、素知らぬ顔してる。それがまた、シュールで笑える。

登校すると、いきなりシマウマとアメリカン・インディアン(ネイティブ・アメリカン)に出迎えられる。チビはすでに大張りきりである。



この日はクラスでスパイダーマン3人、長靴下のピッピも3人、出典不明のお姫様4、5人、ネイティブ・アメリカン3人海賊数人、変わりどころではモーツアルトの姉妹とかチャップリンがいた。リングィーネはもちろんひとりであった。
去年は古シーツを使ったお化けやお母さんの古着を使った魔女などが多かったけれど、今年はキャラものということで既成の変装セットの子が多かった。毎年街中、国中で子どもらが仮装するのだから多様な衣装が売られていて結構なことであるが、これ、来年も使う訳でもないし…と、人ごとながら出費と保管の煩わしさを思ってしまった。まぁ、スパイダーマンの子なんかは結構、普段着やパジャマにもしてたりしたけどね。




あくまでこれは罰ゲームではない。担任の先生たち。自発的な仮装である。このおふたりと非常勤の先生を加えて、3人お揃いでの仮装、謎の囚人…。もしかして先生方は、これがやりたかったからことしのテーマを…。…。





しかし、この日は実は、最悪であった。
ここからが問題であったのだ。



登校して数時間後、携帯に担任より電話。学校で、チビがお漏らしをしたと言う。
こういうことはあんまりネット上に書きたくなかったから触れなかったけど、これまでわずかに、しかし今もなお、数ヶ月に一度こういう失敗をする。あいにく着替えを持たせていなかったので、先生は困って電話してきたのだ。出先だったので対応できず、結局ホルト(学童)の担任と相談して下さることに。先生は文句を言う訳でもないし、誰に責められる訳でもなかったけど、シモのことだし相当に落ち込む。
こんなに準備にがんばった日だったのに…と、もうめちゃくちゃ落ち込む。
休日や家族と居る時間にそんなことにはならない。何が問題なのか。何か精神的に問題でもあるのか。私が何か、間違ってるのか。先生たちに何かあるのか。もう散々な気持ちで夕方定時に迎えに行くが、本人は当然ろくに説明もできないし、怒る気にもなれないのでほとんど口もきかず、晩飯をすませ就寝させる。泣ける。とにかく。
せっかく数日かけて用意したのに。
会心の出来映えやったのに。
あんなに喜んでたくせに…。



翌日もろくに気持ちが晴れない。

夜になって、このやるせなさをひとりで抱えてるのがほとほと嫌になり、ジャパンツアー中の旦那氏にメールする。

ほどなくして返信が到着する。
その返信を読んで、ハッとする。

「そうか。カノンは興奮してたんやろうね」 よっぽど嬉しかったんやろう、と。

ガーン。そうか! 犬で言うところの“うれしょん”である!




もの凄く単純であるが、そう言うことだったんだと思う。

楽しくって、嬉しくって、はしゃぎ過ぎて、気をつけられんかったんか。あほやなぁ。
丸一日憂鬱だったわたしであるが、夜になってベッドで静かに訊いてみた。きのうはろくに答えられなかったチビだけど、今夜は静かに言う。
すごく楽しかったんだと。行こうと思ったら、間に合わなかったんだと。



後日、独語クラスで仲良くなったイタリア人の友達に、この話をした。最近仲良くなった彼女は、日だまりの定食屋でランチを食べ終え、昼酒をあおりながら身振りを織りまぜこう言った。

「時どき人は、ものごとを望遠鏡みたいなもので覗いて見てしまうのよね。その狭い視野の中ではネガティブにしか見えないことも、切り取られたスコープの周りでは、ごく普通にハッピーだったりするのよね」。




うちは夫妻で大変、キャラクターに違いがある。世間様では「性格の不一致」が離婚理由に挙げられるが、まぁそれは建前か知らんが、“性格の不一致”が離散の理由に成るとするならば、うちなど婚姻自体がナンセンスである。何から何まで違いすぎる。

それよりも、性格が違い、見るとこが違うからこそ、こうして救われることもあるもんなのですなぁ。12年で初、とは言いませんが…(苦笑)。



たった1日の晴れの衣装は、幸いおしっこで汚れることもなかったので、現在おチビのお部屋に飾ってあります。
やっぱり相当、嬉しかったってことにして。