こうして夏が終わっていくのか。

 火曜、お昼頃ダニィから電話があって、午後ヨシュアとともに車でピックアップ。香音と四人でプラータの東端の、静かな緑地公園へ。わたしたちの他には二組くらいだけで、のんびりと原っぱに寝そべることができる。ダニィが持ってきてくれたおやつとジュースをむさぼりつつ、腕相撲したりふざけたり。ひとしきり遊んだら、子どもたちにアイス、大人には珈琲をと、すぐそばのガーデンレストランへ移動。晴れると陽射しは強いものの、風はしっとり癒し系。雲に太陽が隠れるとたちまち涼しくなる。きっとプールの水は冷たいだろうな、と思うとこうしてウィーンの夏も刻一刻と終わりつつあるみたい。

まだまだ外は明るいけれど、時間はスーパーの閉店に迫りはじめたので、4人で我が家最寄りのスーパーへ。いつの間にかリニューアルして広くなったのか、キレイになって充実してるではないか。しかしなぜ男の子はスーパーマーケットでああも盛り上がるのか。おかげで香音も興奮気味である。小さなおやつを買ってもらったりしてハイテンション。素早く帰宅する頃には、ヨシュアはお腹がすきはじめたので内心とっても慌てながら準備。慌てて作りはじめても子どもの空腹は留まるところを知らず、手近にある今食べても夕食に響かない物を提案しても「いらなーい」の返事。機嫌が悪くなりそうなところで「じゃー、手伝ってくれるかな?」これが功を奏して雲行き一転。ヨシュアは野菜を切るなど料理のお手伝いが得意なのであった。
本日のメニューは手巻き寿司風手巻きおにぎり。わたしが寿司めしがあんまり好きじゃないので、お海苔と白ご飯、牛肉のそぼろに野菜各種、ハムやサーモンを用意して「自分で巻いて食べましょう」パーティである。栄養と見栄えを考慮して、アボガド、赤&黄パプリカ、いんげん、きゅうり、ルッコラを細切りにして大皿に盛りつける。私がご飯を炊いて牛肉そぼろを作ってる間に、ダニィとヨシュアに野菜の細切りを任せて大急ぎで準備。
ヨシュアは思いのほか包丁仕事が上手だったので、次々と注文通りの仕事を仕上げ、あっという間に準備が完了した。普通の手巻きより一回り小さく、正方形に海苔をカットし、子どもの目の前で少しだけご飯をのっけて渡す。子ども等は好きな材料をのっけて、巻いたり挟んだりしてかぶりつく。
結局不器用な香音にはリクエストの物を巻いて渡していたけど、目の前で仕上げる、自分で仕上げるって言うのは子どもも楽しめた模様。途中、わたしは「やっぱり酢飯の方が良かったかなー…」と思ったりもしたけど(苦笑)、細巻きは好きでも手巻き寿司を知らないという人々にはまったく問題なかったようだった。それでも何とも楽しく、そしてたくさん食べた。胡麻や松の実、だし醤油とかマヨネーズとか、トッピングも適当に並べるといつまでたっても食べ終わらず、結局4合ほど炊いたご飯も完売! 結構食べたねぇ。あらゆる材料が残らなかったことにホッとしたけど、以前「こっちの家庭は食べ物平気で残すのがどうしてもヤなのねー」と話してしまったことで、ダニィにプレッシャーを与えていなかったかと、ちょっと心配(苦笑)。

でも、喜んで食べて、食後もデザートを要求され、幸いアイスクリームがあったので子どもたちに与え、遊ばせている横でダニィとおしゃべりしながらワインを結局二本空けてしまった。討議の結果、今夜はお泊まり無しになったけど、結局フラフラになるまで「寝ない!」と粘って、帰って行ったのは深夜零時を過ぎていた。

さすがに荒れすさんだキッチンと軽〜い二日酔い的な疲労感で翌日はボサーッとして過ごし、木曜にはヴィザ延長書類の追加に行ったんだけども、そこでさらにまた追加を命じられた。前途、ちょっとだけ多難。


気をとり直して金曜本日、朝頑張って起きて、香音と映画に行ってきた。観たのは『アーサーとミニモイの不思議な国』。リュック・ベッソンの新作だ。
我が青春のグランブルー(嘘)。エンゾは好きだったけど、音楽が恥ずかしくなるほどダサかった。あんなエリック・セラなんかで満足するリュックなんてヤだ! …。
で、当該作(キャッ、映画の話題だなんてブログっぽい!w)。おもろかったよー。もちろん、独語吹き替えで観てるので、かなり詳細割愛して解釈してましたが。
でもあの3Dのミニモイのキャラって、日本人の作家で似た人形作ってる人が居たよなぁ…とちょっとひっかかった。ざっと見たクレジットには特に記載もなかったし、パブリシティでも触れられてないようですが、いやーな気がしてらっしゃるんじゃないだろうかな、と勝手に想像してしまいました。

 

早くも晩夏のウィーンでいろいろ

 朝いちばん、空港への特急が出ているランドストラッセの駅までウッチーを見送りに行き、その足でふたり、ヴィザの延長申請に行き、帰ったらほどなくしてダニィが迎えに来た。

やっほーと車を乗りつけたダニィに鞄を預け、後部座席のヨシュアにも挨拶。ふぎゃあと興奮する香音に苦笑する彼も、まんざらでもなさそうで微笑ましい。
一路、バードフィスラウって書くと良いかな、皇帝フランツヨーゼフが建立した保養地である。ウィーン郊外にはよく似た名前の保養地がいっぱいあって、要は天然涌水(ミネラルウォーターである)を使ったプールがあって、それらは年間通して26度くらいとかで、ミネラルたっぷりなので温泉みたいな感覚で人々は泳ぐのだ。年間通してそんな温度と言うことで、それらのなかには冬場も開いてるところもあって、そこでは外気温が零度前後だったりするから温かいと言う。いいずれにせよ19世紀からある天然水のプールってことで大変気持ちいいし嬉しいんだけど、かなり暑い日でも冷たいのが私どもにはちょっと残念。特に肌の弱い香音にはおススメしたいのだが、去年一回足を浸けて懲りてしまってから全く入らず、いつも併設の普通のプールに。そっちは都会のそれほどじゃないけど消毒用のカルキも入ってるからトホホなんだけど。
で、我々が皇帝ヨーゼフ風呂が初体験ではないのを聞いてダニィは大変悔しがってくれたが、それでも感激したのがカッバーネ初体験であった。

このカッバーネ、という名称はちょっと怪しいのだが、定義は一応「大きめののキャビン」。
天然水プールのある庭を囲むように建物があって、小さいキャビンが並んでいる。それらはまぁ所謂貸し出し用更衣室で、お気替えと荷物置き場程度の大きさ。
そしてその背後に斜面に沿って、バルコニー付きのキャビンがあって、そこではそれらを「カッバーネ」と称していたんだけど、帰ってからディータやビリーにとそのことを話したら「そんな名前聞いたことないよ」と言われた。が、まぁ、現地では表記もされていたので“自称”と言うことで、カッバーネ。


そう、ウィーンから車で小一時間もかからない郊外、バーデンのはずれにあるその保養地のプールサイドのカッバーネを、ダニィのお母さんがひとつ賃貸で所有している。そこは春夏だけ利用可能な、小さい部屋にバルコニーがあるだけのところだったけど、バルコニーからは美しい眺めがあって水着でプールと行き来ができて、簡単な食事も作れるようにしてあって、一泊便乗させてもらうには充分な設備。こっちの人たちのいろんな休暇のスタイルに興味津々の私としてはワクワクである。

さいわいこの日は快晴で、到着は午後4時を回っていたけどまだちょっと泳げそう。
素早く支度してさっそくプールへ。手荷物を焦りながらいじくってたら、「すぐ戻れるんだから、タオルだけ持って行けばいいのよ」とダニィが言うのでなるほどと、水着姿でバスタオルだけもって出かける。うわぁ軽装。子どもか私は。ダニィはタオルと鍵だけ。そうしたら荷物番のためプールサイドに誰かが残るってことも不要なのか、便利だなーと感心することしきり。
香音はイクミくんのおさがりで頂いた浮き輪を持たせる。遅まきながら浮き輪デビュー!
去年のアルテ・ドナウ泳ぎではまったく水を怖がらずまわりで大人が大慌てしたくらいだったのに、今年はちょっと尻込みしてる。これまでの各地の海、プール、ついでに川経験を総合すると、どうやら冷たいと拒絶するのだな。まぁ入ったらそのうち平気になる、なんてことは経験則だし、至極真っ当ではあるのだが。


しかしお友達の魅力、ヨシュアの魅力はすさまじく、尻込みする香音もほどなくして入水、浮き輪の中で硬直してたけど徐々にリラックスしはじめた。ヨシュアは7歳にしては結構泳げて、足がつかないところでもまったく平気で泳ぎ倒している。ダニィは「ほぼ犬かき」と言うが、それでも私なんかより泳げてるではないか。フォームなど関係ないのだな。香音の浮き輪を引っぱったり押したりして一緒に泳いだり、ダニィと爆弾飛び込みや水かけっこをして遊びまくる。
あっという間に水中で身体が冷えきり、満足して今夜はホイリゲに行くことにする。

実はダニィはこの小さな町で生まれ育ったそうで、おススメの有機料理のホイリゲにと言ってくれたがあいにく休店。こういう小さな町ではホイリゲは二週間ごとの持ち回りで開くので、町の掲示板の案内を見て開いているところに行くしかない。
とはいえこの日のホイリゲももちろんナイスで、あっという間に満腹になってしまったし安くって感激した。ウィーンのカフェならコーラ一杯、珈琲一杯って値段で、ここではワインが2、3杯飲める。同行者にご馳走しても拍子抜けするくらい安い。


ホイリゲのあと、ダニィの生家をみせてもらいに。がーん、お嬢様育ちかね?と言いたくなるような瀟酒な洋館だったんだけど、今は誰も住んでいなくって、メンテナンスが大変とのことだった。鍵を持ってなかったから外観とお庭だけだったものの、ご家族の事情を聞きながら彼女が育った町や家を眺め、大好きだったと言う庭を歩くと、自然と知らないはずの時間が今現在の時と少しだけオーバーラップしてくるみたいな、ちょっと不思議で、ちょっと懐かしくとても親密な気分になれた気がした。


小さな“カッバーネ”に戻って、ベランダで星を見ながらお茶とワインを飲んで、たっぷり夜更かしした子どもたちをベッドに寝かしつけた。
子どもたちふたりは一緒にいてもばらばらに何かしてる時もあるし、べったり仲良しではないんだけど、低気圧ハーモニーに陥ることがまったくない。不協和音でどちらかや双方が苛立つ。というようなことがまったくないので、いつまでも両者が相手に疲れないのだ。両者とも、他の子どもとだと大なり小なりあるから、この組み合わせの心地よさと言うのは独特なんだと思われるし、それを何より本人達も感じている様で、それは寝る瞬間までそうで、お互い、目と目をあわさなくっても、横顔や寝顔を見て微笑んだりなんかしていて、とってもかわいらしかった。


翌日はこの町在住の友達母子も合流して、朝からしっかり泳いでは寝そべるをくり返した。
こちらの子も同じ歳の男の子だけどなんかやたらでかい。そして精神年齢もちょっと高そうな、穏やかで物わかりの良い悪ガキである。ヨシュアと悪ガキな遊び方で親や時には通りがかりの大人にも注意されてばっかりだったが、でも香音とも水の中で楽し気に遊んでる。香音を連れて三人でおやつを買い出しに行ったりアイスを買いに行ったりもするし、一度なんて、併設の公園で香音が泣き出したら、全速力で走って呼びに来てくれた。彼がたいへん大げさに報告するので、女性の人権について話していた我々ママ三人は大慌てて急行したが、行ってみると大したこともなく泣き止んでいて、かたわらにはしっかりヨシュアがいてくれた。
快適なあまり、ヨシュアの「もう一泊して行きなよ」との進言に、母子ともに即答で乗る。こういう行き当たりばったりができる仲になってきたのは大変気持ちがよい。
夜には6人で新規開拓したホイリゲでまた、たっぷり食べて美味しく飲んだ。車だから、ほんとに微量。



二夜ともに、子どもが寝てからはゆっくり話す。子等は今夜もシアワセそうに、並んで寝てた。
この時間だけは英語率が上がる。ダニィは英語も堪能なので、私はもう、目が回りそうになるんだけど。
とはいえ話せば話すほど、話せる奴!な彼女。常々、気遣いで気疲れしてそうな気もするので、せいぜい気を遣わせないようにしなくちゃと思うんだけど、ほんとうによく気が利く。心配性だけどネガティブ志向じゃない。一年前、小学校入学の初日に第一印象で、直感的にええ感じーとか思ったものだが、やはり間違っていなかったではないか。いやあの印象を越えてええ感じではないか。「人を見る目は確かです」。
子どもが寝ているベッドの横に、ソファと床のマットレスで…と、洋式雑魚寝みたいな二晩だったけど、あと数日でもOKと思えるくらい楽しく過ごせた。

寝る前、「今日は素敵な一日だったでしょ」とダニィがヨシュアに訊いたら「それはカノンとカエが居たから」と答えたと言う。ハンカチをどうぞ。
補足:ヨシュアは美男子です。



翌日は日帰りで遊びに来たヨシュアのおじいちゃんともお会いし、またたっぷり泳いだ。雲行き怪しい場面もあったものの、概ね3日間快晴に恵まれ。
成果として、香音は浮き輪でならひとりで浮遊できるくらい慣れたし、お陰でふたりがプールで遊ぶのをプールサイドから見守る、と言うことすらできた。大大大進歩。それと、ヨシュアたちが何度も駄菓子を買いに売店へ連れてってくれたお陰で、最終日にはなんと、香音ひとりでお気に入りの駄菓子を買いに行ってのけた。ちょうどのお金を渡したので、数字に関しては無問題ではあったものの、これは大いなる一歩ではあるまいか。皆さん祝杯を。

ヨシュアたちはもう一泊するつもりだったらしいけれど、本人の希望で彼らも一緒に帰ることに。
最後までしっかりつるめた訳で、あー楽しかった。
おじいちゃんをお送りするため遠回りしている間、車中で香音は居眠っていた。ふと気がつくと、寝顔はヨシュアの肩に。ヨシュアはそれに気づくと起こさぬように肩をこわばらせてにっこり笑っていた。うひひ、写真撮れましたからネ。


こっちの人たちは夏休みをほんとに大事にする。大事にすると言うより、本気だ。必ずたっぷり休むし、必ずしっかり遊ぶ。
隣国外国へ行く人もほんとに多いけど、それでもその合間には国内で遊ぶ訳で、それでも本気であることにかわりなく、遊びきることに変わりない。遠い外国にヴァカンスっていうのが一番派手で、一番地味なのが田舎の実家へ帰省、いや自宅滞在…だとしても、その中間はみんなどんなことしてるのかな、というのはとっても気になっていたので、その中のひとつ、しかも一種のオールドスタイルを垣間見れてほんと、楽しかった。



二日後、ディータとビリーがブルグハルト達と最近かりはじめたウィークエンドハウスに誘われる。
これもかなり行き当たりばったりで誘ってもらったのが嬉しかったんだけど…ディータの体調不良で当日お流れに。
これは残念!
なんとこのキャンセル、朝に電話で知らされて香音に伝えたら、泣き出してしまった。がっかりして泣くって、たぶんはじめて。

かわいそうだったので、夜、カールスプラッツであった無料のオープンエアミニコンサートに行ってみる。
これもダニィの情報で、噴水の傍でギターの弾き語り。まぁ所謂フォークで、歌詞にウィーンとかレオポルド山とか、ご当地キーワードがちょこちょこ出てきたり、オーストリア訛が際立って感じたりしてそれはそれで面白かった。覇気のない友川かずき…ってところか。
香音は大喜びして走り回って聴いていた。(本人は「ダンスしてるのー!」と言っていたが)。後半はずーっと正面に立って聴いていて、しまいにはかぶりつきにぽつんと一人座り込んで観ていた。これにはミュージシャンのおっちゃんも感激してた模様。
これがきのう。


今日は朝から保険屋行って、買い物して、夜はシルヴィアの新居にやっとこさ行ってきました。なかなかの快適、ええ感じでしたわ。

はい、そして明日は再びヨシュア母子登場。うちに。おからハンバーグでも作るかな。香音は泊まってもらうと張り切っています。

8月上旬はパパが居た。

えー、そういうことで、ギリギリの体調で帰国したのが8月4日。
ギリギリの体調などについては、アメーバの方に上場予定の帰国記をご参照のこと。まだそこまで書いてませんが。

夜半に着いたウィーンの自宅前で、香音はやっとウィーン、しかも自宅に帰って来たと実感したらしく、「やった!やった!」と建物の前でピョンコピョンコ飛び跳ねて喜んだ。日本に居る間に、なんかの拍子に「ウィーンでは学校のお友達が待っているよ」と言ったのを相当期待している模様。
もちろんお友達の誰彼は、夏休みに入って数日後には渡日しますと言うとき「帰って来たら遊ぼうね!」と親子で約束してくれたもんですが、口約束とまでは言わずとも、それぞれ田舎に行ってみたりなんやかやと夏を過ごしているはずで、果たしてウィーンに居るかしらとの疑いも大。
帰国旅は移動も多かったし、忙しかったし、有り体な感想ではあるけれども、日本の子どもたちは総じて皆、忙しい。夏休みも宿題やら学童やら習い事やら、なんやかんやと忙しいしまぁ第一、気持ちが忙しいんじゃないかな。そんなこんなで、あれだけ日本と日本語世界を堪能していた香音もあの子なりに、自宅、ベース基地に帰るのは待望でもあった模様。

例の、空港での足止めなども含め(詳しくはアメーバのブログを参照/まだ上げてないけど)、ほとほと疲れて帰った我が家。
一番驚いたのは食虫植物、ウツボカズラの活躍! 衣類に付いているらしき小ちゃい蛾がなかなか根絶やしできず困っていたのですが、ウツボカズラがうちに来てからちょっとずつ減少。そしてとうとう、ひと月の不在を経てその威力を最大限に発揮した模様。たぶん。それと引き換えに、だめになってた保存食もあったりしたものの、概ね住まいは快適さを保っておりました。
翌日、留守中鍵を預かってくれていたエッケを招いて晩ご飯。…そこにいるはずの和久が…到着しない!
私たちより先んじて日本を発ち、バンコクでライブを終え、さて出発と言うとき搭乗便がキャンセルに。バンコクで明け方までホテルに足止め(これは高級で良かったらしい)、おまけに経由地のストックホルムで半日足止め…ってな展開で、午後早く帰宅する予定が結局深夜になってしまいましたとさ。


そんなちょっとした不運で散々な思いをしつつ、一日遅れで帰って来た亭主。
だけどどうも調子がイマイチ。イマ2、3。結局、喉が痛い、微熱っぽい、お腹こわした…etc.で、結局一週間ほど外出もままならなかった。
これで、お隣りドイツにカッセルドクメンタを観に行こう!大作戦がお流れに。ウィーンでのんびりするのももちろん良いんだけど、体調がぱっとしないからちょっと出かけても落ち着かないし、第一出かけたがらない。これじゃコドモが可哀想…と思ったけれども、留守ばっかりのお父ちゃんが(ゴロゴロしてるとは言え)おうちに居ると言うのはそれなりに楽しいみたいで喜んでいたのでいや何より。

とはいえ10日間ずっとゴロゴロしていた訳じゃなくって、それなりの成果を上げたのが模様替え大作戦であった。結果、なかなか居心地の良い居間が。うひひひひ。成果はぜひ、遊びに来て確かめてくださいませませ。



香音が楽しみにしていたクラスメイトたちは、次々と母親が連絡をくれて来週にも遊ぼうと言う話になり、そしてもう一組、香音が遊びたくて仕方なかったお隣の姉妹、ケニちゃんとアニーレちゃんとは、この数日間で何度か遊ぶことができた。両親のスザンネとフランツは「家に居る時はいつだって来て良いんだよ」と言ってくれる。ふたりとも勤めているけど、基本的に家で仕事をしないし(幼児2人が常に走り回っているから仕事なんか無理なのだ)、姉妹ふたりが走り回っている限り香音のような子が一人増えてもケンカが減るくらいで苦にはならない、ということかな。何しろ香音はほんとに喜ぶし、仲は良くてもお互いに飽きる姉妹にも好都合な様でとっても楽しそうにしています。嗚呼、感謝。
そしてこっちのタイミングが良い時はお茶に誘ったりして、内橋さんが居る間もちょっとした近所付き合いが育めた。只今ご家族は二週間ドイツへ休暇に行ってらっしゃるのでお留守だが、郵便ポストの鍵と大きな観葉植物二鉢を預かった。

りなんかして、出かけた帰りに在ウィーン邦友(邦人友達ね)ミチと遭遇。したら、その横に居たのは幻のユウジであった。
幻のユウジ(うひひ、昭和のヒーローみたい)、もともとはミチを紹介してくれた森本アリ、去年ウィーンに遊びに来てくれたキンセイさんにウィーンの姉御シルヴィアなど、いろーんな人が「紹介したいー」と言いつつ、いつも何らかのニアミスで会えなかった男、である。しかもその嫁とその息子にも会い、ウィーン郊外のそのご実家までお邪魔したと言うのに、それでも会えなかった男、ユウジ。幻の男、すべての者を背後で見守る男、会えそうでなかなか会えない男、ユウジ。
が、飄々と立ってるじゃん、そこに! がはははは。
会ってみるともちろんミステリアスな訳もなく、割と硬派なミチと対比が面白いくらい飄々としていたのであった。

で、そんな二家族を模様替え間もない我が家にお招きしてみたりして、ガヤガヤと過ごし翌日は大事なヴィザの延長更新の申請に。
今は日本に居るエッケが出発前に、丁寧に教えてくれた通り書類を用意し、出がけに香音をみておいてくれるというミチに香音をリレーしたりしつつ訪れた、が、…タッチの差で本日終了(涙)だった。。。この御用は明日へ繰り越し。
として、用事を済ませてミチ一家&香音と合流して、一区でアイスクリーム。お腹壊してるくせに内橋さんもアイスクリーム。
週末から子連れ&子無しで休暇に出かける幸せそうなミチと妻ベッティに心から羨望の眼差しを送りつつ、解散。
小雨ぱらつく中最近恒例の、内橋さん帰国直前衣装買い出しである。ま、ついでにわたしもちょこっと買いもんさせてもらいつつ、のりのりの内橋さんの買い物に付き合い、夜はビリー&ディータ宅へおよばれして、こうしてお父ちゃんがいる夏があっさり終わりました。
翌朝いちばん、お父ちゃんは出発。

その足で再度、ヴィザ申請へ。
これまで初年度と全開の初延長と、ヘルゲについて来てもらっていたけど今回はじめて最初から独力であります!
(ま、エッケ様と言う知恵袋に入れ知恵して頂いていますが)
結局、一点書類を新しいのにしなくちゃなんね、ということ以外はしごくスムーズにことを運ぶことができました。大大大安堵であります。
しかし、ちょっとしたやり取りにて、受付担当者のレディが心根の優しい方であることを察知。仕事柄、普段はクールになさっており、また昨年は大ちょんぼをやらかされた人でもあるので要注意ではあるものの、他の人ならダメと突っぱねそうなところをひとつ、譲歩してくださった。これはどこまでが通例でどこまでが受付者の裁量なのか、私には知る由もないのだけれど、やはり巷で言われるように“受付者の裁量次第なところ”はあると思われました。そういう場合、一見礼儀正しく一見愛嬌のあるうちの小さい人を連れてくのは結構、いや多分に有効であると思われました。以上ですキャップ!



なーんてドキドキもありつつ、父無しの夏休みとなり、それも残すところあと2週間となりまして、そこへ早速のお誘い。
ヨシュアくんのママはダニィと言って、ママ友というよりかなりシンパシーの強い、女友達。彼女からの電話。ドイツ語であるため、詳細がつかめない。でも、「自分達は明日から金曜まで、自分の母所有の郊外の“何か”に泊まりがけで行く。その何か、キャビン的なところはせまく小さく寝るだけみたいなとこなんだけど、なんか泳げるような感じもあり一泊ぐらいはいいんじゃねって感じのとこなのでどう?」ぐらいまでキャッチ。何かよくわからないけど最低限理解した上記のみで十分この話に乗る価値があると思い即、ぜひ!と答える。わたしは冒険家なのだろうか?それともこんなもんよね??
まぁ、こういう感じでオファーがあったので行ってきまーす」とディータに言うと、「アハハハ、いいんじゃない? 夏休みだしね」と笑われた。

帰国記 1 7月某日 パキスタンの日本人

ご無沙汰しておりました。
もはやブログと呼べません。覚え書きですね。
はい、夏休みの覚え書きです。
とはいえ誰に向かって書いてるんでしょうか。
意外と2ちゃんのUAのスレッドにリンクが貼られておった様で、まことに名誉なことでございます。

ってことでそんなコマメで純なUAちゃんファンな人の目線も意識してそれっぽいネタも織り交ぜつつ、行ってみましょう夏休み大解雇。いや懐古。

  • 七月某日/日本着

6月いっぱいできっちり夏休みに入ったので、7月早々出立。我が家の大蔵省の命令でパリ経由、エールフランスは食事は不味いが座席は最新型(ほぼ)。
しかも夕方出発でパリを発つのは夜半、日本には夕方到着で、どうなることかと思ったが今回は香音、ちょこちょこ寝たり、トイレも乱れず、飽きてごねたりもせず、近年稀に見るよい子っぷりで到着。前回は機内でご乱心多々により到着即解散したいくらいだったので、今回は念のために成田でホテルを確保していたが、それもホントは必要なかったかもしれない…というのは言っても仕方ないので機嫌良くチェックイン。
このホテル、成田からシャトルバスが出ているんだけど、その、懐かしさ以上に古くさい旧旧型観光バスにて、なかなか一興なひととき。
全開時のYuko Nexus6 ばりに即席社交してみた隣席の日本人女性お二人は、パキスタンで医療奉仕しておられる看護婦さんと助産婦さんだった。まぁ半年や一年の海外ボランティアなら、今時ならば気合いの入ったホームステイとか毛色の変わった私的留学とそんな変わらなry…と驚きもしないあたくしであるが、おふたりは10数年のお勤めだそうで、もう被ってもいない帽子を一旦被った上で脱帽したいくらい、驚いた感心した。そして関心も。
失礼にならぬ程度にとはやる気持ちを押さえつつ質問質問。

仰るには、働いておられるのはカソリック系の病院で、粗末なりにも病院然としているその施設にて、学んだ現地語を駆使して地元の主に女性を対象に、安全で衛生的な医療を提供しておられるらしい。共に働く女医さんはアイルランド人。地元の人々は敬虔なムスリムイスラム教徒なので、妊婦さんとて男性に触診されてはならぬため、異教徒とは言え女医さんがいてくれるのは何よりと現地でも大変喜ばれているらしい。
「そっかぁ、もともとインドのヒンズー教徒とケンカしてムスリム国として独立したような国ですからね、敬虔なんですよね」と遠い記憶を思い出して納得すると、おふたりは「うわぁ、詳しいですね!」と驚かれた。10数年その国と真正面から関わり続けている方が、この程度の間抜けな発言に驚かれるとは。いかに母国にて同胞の不理解に晒されておられることか。きっと、パキスタンアフガニスタンカザフスタンの区別つかぬ…ぁ、あたくしも白地図で指し示せるか不安ですが、母国に帰るたび同国人にご職業について話すたび、無関心の冷たい仮面たちはとんちんかんな相づちを打っていたことでしょう。

日本以外に住んでいる日本人と母国の悪口を言い合うのは大変居心地悪く、面白くも何ともないので、なんとなぁく話題の雰囲気に気をつけつつ、帰ってくると以前当たり前だったことに改めてビックリしますよね、なんて言いつつ、空港からホテルまで、興味深いお話を伺った。
答えさせてばかりでは失礼、と思いつつ自分たちのことも話したとは思うけど、何をどこまで話したかは思い出せない。と言うことは、大したことは話してないんだなきっと。
彼女たちはひと月半ほどの一時帰国を終え、明朝早い便で日本を発たれる。一緒に休暇を取って遊びに来ていたアイリッシュ女医氏を京都へお連れしたのは楽しかった、毎回帰国はあっという間で…など伺いつつ、お疲れも見えたし、我々も宿で一息ついたらどれだけ疲れが出てくるか不明だし、誠に残念だったけどお茶とか晩飯に誘うのは遠慮して、エレベーターでお別れした。旅先で会う人は、また旅先で会えるような気もしていたし、何より旅先でアドレス交換したのに結局途絶えてしまうという、よくあるこっちのパターンを何となく避けていたりして。

そう、お互い日本人で日本に里があり(彼女等は栃木県と仰っていた)、定期的に帰国しているのに、旅先で会った気がして仕方なかった。
ひと月やそこらの短期滞在で、もっと腰を据えたところへまた戻るからそう思う、といえばクリアにその通り。
ただ、まったく異なる理由や事情を持ちつつ自ら離れたところであると、そしてそれがまた日本っていう、こういう国であると、ああいつ帰っても我が国ニッポン!と羽を伸ばせるかと言えばそれはもうなくって、気づかぬうちに自分が客人になっている現実が待っていたという。



さて、不特定多数のみなさん。
わたしは上記の彼女等にまた再び会うことはできるでしょうか。
栃木県出身で、カソリック教会のどっかの組織から派遣されて、パキスタンでもう10年以上医療奉仕されている2人組。
しかし勤務地は首都イスラマバードではありません。
第二の都市くらいのことをおっしゃってた気がしますが、その街の名も失念してしまいました(呑んでた訳ではありません)。
いつか、パキスタン、行ってみたいですねぇ。
そんな彼女等でも「あれには懲りました」と仰っていたパキスタン航空はこの際避けつつ、遠路遥々、たぶんタクシーのおっさんとケンカしたりバスに乗り遅れたり地元のおばちゃんの世話になったり怪しい爺に売りとばされそうになったり野糞したりしながら、人々の温情と協力と好奇心で最後にはあっさりたどり着いたりして再会。みたいなこと、できるんでしょうか。

やっぱりメアドくらいい聞いといたら良かった、と、ちょっぴり後悔する、さっそく夏が終わりそうなウィーンより。夏の思い出第一報でした。




※帰国記その2からはアメーバの方に書くことにします。何でって理由は特にありませんが、あっちがあんまりにも開店休業なので。
 ってことで、こっちはまたいつも通り、チビのいるウィーンの日常を。

※※ほら、続けてるよ! http://ameblo.jp/bluffs/entry-10043979295.html

※※※失礼。日付、動かしました。8月記録をちょっとずつ書きたいなーとか、思いまして。

Golden Green

6月20日に、まふたちUAの新しいアルバムが発売されます。
5月に出たマキシシングル『黄金の緑』に収録された曲などももちろんのこと、カラフルな楽曲がそろい踏み。

実はわたしも、UAの正月の思いつきで一曲、詞を書かせて頂きました。えへへへ。
友達のバンドや演奏のために歌詞を書いたり訳詞をしたりと言うことはこれまで実は時々ありましたが、日本が誇る歌姫のアルバム、メジャーデビューであります。英語詞で唄いたいと言うことで、親友翻訳家、いとうはるなに訳詞を依頼。依頼とは言え、所謂“丸投げ”なんてでけまへんから、連日連夜スカイプで共闘しつつ仕上げました。2週間余りの創作期間、相当集中して取り組みまして、本気のパッチですよ。メジャーデビューとは言え最初で最後になるかもしれないんだからと、いきなり背水の陣気分でしたからもう、遺書のつもりで。
UAの唯一の注文は、“楽しんで書いてちょんまげ。底抜けポジティブで”。何かあほみたいですが、これは曲が先にできていたので、そのイマジネーションありきでの発言ですから誤解なき様。
遺書くらいの気持ちで、でもポジティブに、ってことで書き上げまして、却下お蔵入りの心配もどうにか免れ、アルバムにひょっこりおさまりました。


で、自分のことはこれくらいとしてですね。
サンプル盤を聴きました。今も聴いています。普段の私なら、まぁアホ的にサンプル盤で先取りして聴けるのを鼻にかけて威張り散らして(笑)内橋さんの仕事ぶりを讃えて宣伝…ってノリですが今回はちょっと違います。そんな悪童キャラをしっとりと落ち着かせる、良いアルバムなんです。



ネットで散策するとあちこちでレビューとか紹介も読めるのですが、そういうのはさて置き。

どの曲がどうとか参加ミュージシャンがどうとか、話す意味は無いと思う。
聴けばいいんですから。
誰が何をしたって言うのも、もちろん人の仕事は評価するべきですが、でも人に勧める時に並べ立てるのはかえって失礼なんじゃないかと思う。
もちろん、ZAKのミキシングは尊敬すべき仕事。mp3とかヘッドフォンとかじゃなく、ちゃんとスピーカーを鳴らして近所迷惑にならない程度にちゃんと鳴らして聴いて欲しい。そしたら彼がどれだけ、音ひとつずつを大事に混ぜ合わせたか、きっとわかるから。彼がエンジニアとして敬愛されるのは玄人中の玄人だからじゃない。素人でも、ちゃんと聴いたらその魔法が聴こえるから見えるから。
だけどZAKがどれだけエラいかなんて、ほんとは知らないままでもちゃんと楽しめるし、愛せます。大丈夫。

じゃあ何を言おうか。何も言わなくてもいいか。
わたしが言えることなんてすべて、ちゃんと聴いた人はつぶさに残さず、ぜんぶ感じてくれると思うよ。
そのためには、ちゃんとお小遣いから買うこと、ちゃんと聴くことがプロセスとして大事だと思う。買う決断をして、ドキドキしながら封を開ける…これをすっ飛ばす人とは、今から言うことは共有できないと思う。残念ながら。



聴いた。
胸がいっぱいになったよ。いろんな、大事なことを思った。
例えば、ラブリーな音楽で「誰かを好きになりたくなりました♪」なんていう赤裸々な(笑)感想を耳にしてこっちが恥ずかしくなったりしたことがありますが、似たような言い方で小恥ずかしいので小さい声で言いますと、そうですね、好きな人はハナからいっぱいいるので、誰か、よりも“自分のこと”が好きになれそうな、そういうしあわせなしっとり感があります。それでいて、胸がいっぱいにと言うかつまると言うか、ね。


藤野家舞ちゃんという人がいるが、彼の曲、「Paradise Alley/Ginga café」という曲があって、じっくり聴くともう、わたしは舞ちゃんに恋をしてしまいました。舞ちゃん、大好きです。もしこんど、とっておきのかわいい詞が書けたら、舞ちゃんの曲をもらいたいです。こんどいつ会えるかわからんし言っても照れて逃げて行かれそうだからここで書き置くので、誰か会ったら言っといてください。悪いね。笑いながらで、良いからね。って思うのは、Uaが書いた詞がまた愛しい詞なので、そのせいですっかりあたしはうっとりしている。


朝本浩文さんの曲がアルバムの最後にあって、あんまりせつない曲なのでもう一回もう一回と聴き直してしまうんだけど、これは「Moor」という曲。私の大好きなあの彫刻家の名前からとったのかしらと一瞬思ったけど、ちゃんと聴くと舟を岸につなぐという詞があって、おそらくその意味の動詞moorなんだろうなと思うけどそれって、日本語の渋い言い方では「(舟を)もやう」って言うんですね、これイイですね。



ところでこの曲は映画『赤い文化住宅の初子』のエンディングテーマだそうで、この映画の本編の音楽は豊田道倫さんがやっていて、まだ観ていないけどきっと良いに違いないのです。
(ナイーブな人はこの目で見ないとわからないといつも言いますが、わたしは決してそう思っておらず、世の中に、ほんのわずかですが「観なくてもわかる場合」があって、今回はそれがあてはまるのです。そういう勘は外れたことが無いので、観ない限りわからないと言う理に実感を持てないのです。もちろん、良いだろうと思ったら残念賞…程度は時々あるけどそれは別。あくまで、良いに“違いない”とまで言える場合、に限ります)
Uaはこの映画を観てその詞を書き下ろしたそうで、彼女にこんな詞を書かせた曲とそして映画。それが足りない訳が無い。そして豊田さんだもの。自分が観る前から安心して人にすすめられて、そしてわたしも、安心していつか観るんだ…。


わたしは地球愛とかエコロジーとか唱えるのは虫酸が走るので絶対言わない。言わないしわざわざ言う人を観ると胡散臭く一歩も二歩も後ずさってしまう。あまりにもどれもが、薄っぺらくって軽々しくって聞いていられないからだ。事の重大さに比べて。
けど、このアルバム全体を通して聴いた時、そこに語られる言葉を片っ端から聞き逃すまいと、聴きこぼすまいと、無意味に書き留めそうになるほど、その言葉ひとつひとつを受け止めたくなった。個人的に。

これだけは言える。Uaは愛について、長い間あがいていた。それはそれは、あがいていた。時には飽き足らず、時には矛盾して、それはみていて痛いし、やだった。チキュウとかダイチとかフヘンテキなモノへの憧憬を彼女が語るとき、それは時として、足許の不健康さの言い訳のように見えて、わたしは後ずさりした。言葉がすんなりと胸に落ちてこなかった。
けど、こんどのアルバムではどうだろう。もしかしたら、彼女はもの凄くスッキリしたんじゃないかなと思う。
なんだ、自分を好きでいてい良いんだって。自分を好きでいたり、普段着の誰か個人を愛したり心配したり、小さいイトナミで精一杯でそれで、いいんだって、好きな人を思って、思って、時に一人称になったり二人称になったりして、そうして、その小さいミクロなloveの奥中に、ちらっとマクロなもの、かわらないもの、何かにずーっと繋がっているってことをちらっと直感できたら、それを信じれば良いってこと。
ってなことなんかを、紡がれている気がして、なんか嬉しくって胸と目が熱くなりました。


名盤です。
作った人、携わった人たちの、温度が伝わります。その端っこを作らせてもらえたことにほんとに感謝しているし、それから、今回のできあがるまでの、わたしのケモノ道を照らしてくれた、朋友と敬姉とココロの友には特に感謝しているので、この三人には贈りますからね。
稲田くん、みかこ姉ちゃん、野村くんは買わないで待っててね。




ほかの優しい皆さんと多感な皆さん、すかんぴんなのは百も承知ですが、ぜひ買ってみてください。お願いします。

宿題をしながら

月曜日。午前4時の前だから「未明」と言うべき時間に内橋さんは大きな荷物とギターを背負って出かけて行った。起こして寝ぼけつつタクシーを電話で呼んだが、明らかに寝ぼけた頭で独語でタクシーを無事呼べたと思ったら目が覚めた。トラブルがあって戻ってきたら大変だから小一時間は起きていようとしたらその後寝直せず、月曜は睡眠不足でスタート。


  • ジョギングをしてみた。

その前、土曜日は思い立ってジョギングに出かけた。町田に住んでいた頃、夜のウォーキングを一時間…というのを何度かしたことがあったけれど、走ろうと決心したのははじめてである。というのも、朝布団の中で目が覚めた時、たまたま右手で自分の左腕の上腕部を掴んでいたのが、ふと気づくとありえない質量で愕然としたから。なんだこの太ももみたいな二の腕は!
驚いたもののさてと決心して家を出るのに小一時間かかりつつ、家からすぐのプラター公園の散歩道、片道3キロちょっとを一往復…したけどほとんど歩いていた。それでも、だだっ広い道を色んな人が走ったり歩いたり自転車乗ったりスケートしてたり馬に乗ってたりする中、人目も気にせず腕を振り回しながら歩いたり、西田敏行サンキュー先生みたいにケツ振り歩きしたり、ひとりでデューク更家ごっこしたりしながら歩いてるとなかなか運動になり楽しかった。


が、お陰で土曜の午後と日曜と月曜は連日たいへんな筋肉痛が下半身を中心に全身を覆った。
(午前に走って午後には筋肉痛が…というのは自慢です)


  • ホルトへお迎えに行った。

そのように疲れを引きずったまま、月曜は朝から大学へ行き日本語科の授業を傍聴したりして午後、香音をお迎えに行くと、クラスメイトのお嬢ちゃんに「カノンはまだ宿題が終わってないよー」と告げられる。のぞくと、担当のレナーテさんとノートに向かって勉強中。10分、20分と待たされつつ、やっと廊下へ出てきた香音の傍らにはレナーテさんがいて「カノンがどうしてもしないので、宿題が終わっていません。おうちでやってくださいね」と言われる。
日頃、学校から出される宿題はホルト(学童)で済ませられる。残して帰るのは珍しいけど特に気にせず、いやしかししなくてはいけない時に“やらないと言い張る”のはどうかと思うので、「どうしたの?」と訊いてみた。すると、にわかに顔をくしゃーっとして、香音は泣き出した。「ぱぱいなくてさみしー」。…。
最近、パパがいない生活自体は充実して活気も楽しさもあるものの、パパが帰って来たあとまた旅立たれた時だけ、期間限定で寂しがる。まったく仕方ないことだけど、やはり閉口する。「そっかぁ」とヨシヨシしていたら、そこへ隣のクラスの女の子が近寄ってきた。私とも顔見知りでよく声をかけてくれる、良いお姉ちゃんタイプの子だ。さっきも「今日は私のお誕生日なの!」と話しかけてきたところだった。
「どうしたのカノン!」。わたしが説明すると、「そうか!」と納得して香音の顔を覗き込む。そして、香音に向かって、すこし早口に、諭すように話しかけた。何と、それは早すぎて複雑すぎて私にゃ全貌がわからなかったのだがこういうこと。

“泣かなくていいんだよ、今パパが居なくてもお仕事が終わったらまた帰ってくるでしょう、それにママはずっといるでしょう、先生もお友達も学校もホルトも、ずっとあるでしょう、お勉強して遊んで食べて寝て、楽しく過ごしてたらまた帰ってくるでしょう、そうしてるとパパも喜ぶよ、ママも喜ぶしお友達も喜ぶよ…”。
そして、マジックなことに、その子はこんなことを言った。
“帰りにママに何か、おやつ買ってもらいなよ、小さいもの何かひとつならきっと買ってくれるから。ねえ、私お誕生日だったから、明日も元気にホルトに来て、私に小さいものプレゼント頂戴。あなたが今から買ってもらうチューインガムの中の一個でも良いわ。ね、約束しようよ”
…みたいなことを言うのだ。粋だよね。その頃には、香音は涙が頬にあるままで笑顔になって、「Ja、やぁ!」と頷いている。“約束だよ、じゃあね!”と元気よく、その子は自分の教室に戻って行った。
さて、大きいお姉ちゃんとの大事な約束をひとつ抱えて、香音は元気に帰ることにした。
買い物に寄ったマーケットで、小さなペロペロキャンディを自分とお姉ちゃんに選び、自分のはお店を出てすぐ舐めはじめる。


  • 宿題をしてみた

夕食後、宿題をはじめた。眠くなってしまうかと心配だったが、一応ニコニコと椅子に座る。
わたしはあんまりつきっきりになるとどうしてもイライラしちゃうので、最初から鉛筆をナイフで削る用意をして横に座る。今日は最後までやるということに重点を置くことにして、細かいことをあまりこだわらないであげよう、とか思ってたら、また香音が泣きそうに。ドイツ語の家電品の名称を学ぶというプリントだったのが、パパを思い出すスイッチになってしまっていたみたい。フードプロセッサーとか掃除機とか、名前を言いながら色塗りさせるので、「これママ、欲しいんだよねー」「パパが欲しいと言っていたから、きれいに塗ってね」とか言いながら、なんとか気持ちを切り替えさせて、その横でわたしは鉛筆を削る。
全部終わって、「なまえをかく」と言うのでやらせてみると、相変わらず抽象的な文字である(苦笑)。なので、何度か練習させてみた。なかなかダメダメなのでやっぱりイライラしてくるんだけど(だから私は一緒に勉強するのには向いていない!)、しかし今日は香音の方がダンゼン根気がある。いつもならすぐモウヤダーってなるところを、今日はなかなか懸命に試みているので、こちらが気をとり直して見てやり続けられた。モウヤダーが最後まで出てこず、内心驚きながら終了。
ノートをよく見ると、「職業の勉強をまだちゃんとわかっていないから、やりましょう!」という先生の書き込みがあった。それは私への連絡という訳ではなかったようなのだが(多分そう思う)、香音が飽きていないようだったのでこれもやってみることに。
プリントに並んだ絵と文を繋ぐと、「理髪師は 髪を切ります」「先生は 子どもを教えます」となる設問。ひとつひとつ、香音の指で指し示しつつ読むと、香音も声を揃えて一緒に言う。6つほどの絵と文を、何度も何度も繰り返し読み続ける。宿題ではなかったので敢えてプリントに手をつけずに終えたけれど、たぶん、次回このプリントに取り組むとき、本人も少なからず頭に入っているだろうし、先生もそれに気づくだろう。


レナーテさんはいつも言う。「カノンは自分がやると言う時はとてもよくやりますが、しないと言う時は徹底的にしてくれません。これは困るし、大変なんですが、まぁ…随分よくやるようになりましたネ」。すると決めるとよくやる、とわかっているのだから、大人は今しばらくは、すると言えるムード作りを心がけるしか…ないのかな。


とはいえ、今日の宿題はよくやっていた。アレの割には。その間に、独語の語彙力が増えていること、根気が(やる気がある時は)ついてきた、形象の把握は相変わらず悪いけど、言葉の飲み込みは早い…ということに気づけた。素晴らしい!
カノンみたいな子は親子で宿題とかやるとすぐ煮詰まるからイヤだなぁと思っていたし、先生も家でやらなくても良いですよと言ってくれていた。(それは私の独語の問題も考慮されていたろう)けど、どうやら本人の努力と成長で、変わってきたようだ。「宿題をすませる」という必要は無いけれど、持ち帰ったノートを一緒に見て、ごく簡単な読み返しの復讐ぐらいは、これから一緒にできるかなと思った。進歩!

久しぶりのライブ

アマンスタジオという、個人経営の小さなスタジオがあって、ライブレコーディンができる。ライブレコーディングを無料でさせてもらう代わりに、観客の木戸銭がスタジオ収入になるという仕組み。木戸銭は6ユーロ。前売りは4ユーロだから気楽である。

そこの主、アマンさんはポギー&ベスにサウンドエンジニアとして出張することもあり、内橋さんとは知り合いで、今日はソロをやってくれと誘われた次第。決定がほんの数日前だったので集客が心配されたが、前後にもプログラムがあり集客はなかなかのものだった。
ひとつめはTpのフランツ・ホーツィンガーがピアノ、ヴァイオリンとトリオ。
内橋さんのソロを挟んでブルグハルト・シュタングルとカイ・ファガシンスキのデュオ。

ライブするのかどうか、直前までよくわからなかったのでベビーシッターの手配をしていなかったのだが、サウンドチェックに香音とついて行ったら、久しぶりのアマンスタジオだし色んな人にも会えるし、たまには夫の演奏を聴いた方が良いと思ったので(苦笑)、帰宅して急いで電話しまくる。が、結局4人の学生諸君がアウトだったのであきらめかけたが、もうひとりふと、子ども好きなあの彼!と思い出してyukaさんに番号を伺い打診。獲得! 気持ちよく駆けつけてくれた彼に、寝る用意をした香音をお願いして夫婦でお出かけである。というにはまったく色気のないものであったが。


しかしウィーンの街は小さく、サウンドチェックして一旦うちへ帰って晩ご飯食べて、手ぶらで会場入りできるって感覚として不思議である。会場たるスタジオは、ウィーン的にはうちから近所では決してないのに。
電車とバスを乗り継いで、それでも所要時間20分ほどで到着。
会場では出演者はもちろん旧知の誰彼いろいろ会えたので、邪魔臭がらずに来て良かった。久しぶりに聴いた内橋さんはもとより、久しぶりに聴いたブルグハルトとカイの演奏が凄く良かったのも来た甲斐があった。ちょっと洗練され過ぎて出来過ぎ感があって、それはこの手の音楽にいつも感じるものだけどでも成功してはいると思った。

日語独語の交換授業、タンデムレッスンをしてる好青年アンディが駆けつけた。出先から直行できたのだが、内橋さんのソロに間に合わなかった。せっかくなので3つ目だけ観ると言って入ったが、彼には皆目わからなかったらしい。しかも“理解できない”とは言わない。自分ではそう思っていない。いろいろ言うんだけど、どうもまったく理解できていないようだと私が感じたのだ。聴いてわからないものを言葉で説明してわからせるなどしたくないし、言ってもわからないので放っておいたけど、好青年なのに誠に残念なことだった。彼はなんというか、ただただ上手なアコギのインストものが大好きで自分でもやるのだが、お気に入りのギタリストのCDを聴かされて私が良い反応をしなかったので落胆されたことがあったので、これからは音楽の話をしないように気をつけようと思った。っていうか、書籍の話もイルカの話も物別れになったことがある。(書籍:ハワイの“気”かなんかの本を勧められて断ったこことがある。イルカ:鯨食やイルカ保護について意見が物別れになったことがある)
性格は優しくってとっても良いのだが、どうしても趣味が合わない。知り合えば知り合うほど話題が減って行く(笑)。


そんな困った相棒(外国語学習のね)を送り出し、しばし人々とおしゃべりし、疲れた相棒(家族の方)と深夜帰宅。シッター君はニコニコ待ってくれていた。気持ちのいい人である。
香音は本を読んでもらい、9時半頃には機嫌良くベッドに入ったらしい。「さびしくない?」と訊いたら、「すぐかえってくるからさびしくないよ」と言ったらしい。今のところ、“すぐと言ったのにすぐじゃなかった”と思わせたことがなかったかな? だとしたら幸いである。しかし、留守番して寝る直前の子どもに「さびしくない?」の質問は御法度ではないだろうか? もしも“そう言われたら寂しい気がしてきた…”的な展開になったらどうするのだ。